いまどきの学校<30>上穂波小100周年 記念誌通して絆再び

 大正6年4月に創立した飯塚市筑穂元吉の上穂波小が100周年を迎える。1世紀にわたる学校の歴史を記録しようと、元同小校長で百周年実行委員会長の内藤正登さん(66)と、林紀子校長(59)らが記念誌の発行や式典の準備、資金集めに奔走している。ただ、炭鉱閉山後の人口流出のあおりで、往時を知る人が少なく作業は難航している。

 10月中旬の午前中、同小校長室で2人はため息をもらした。記念誌の校正、協賛金の依頼、領収書の作成…。実行委員は卒業生の9人。記念誌づくりの話が持ち上がったのが今年6月。記念誌を作ったことも式典を企画したこともないメンバーばかり。「何をしていいのか分からなかった」。

 知り合いの卒業生の連絡先を1件ずつパソコンに入力して名簿を作成することから始まった。校長室のアルバムに名前はあるが、現住所や連絡先はない。

 内藤さん、林校長の2人を中心に他校の記念誌を参考にしながら作成に当たる。学校の沿革のほか、学校に残る大正、明治、昭和期の写真を探し出し、当時と現在の運動会や餅つき大会の写真を並べたり、卒業生と在校生の計18人が学校について語る思い出集などを集録したりした。発行は11月5日に予定する記念式典には間に合わず、12月になるという。

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 「我等千余の 健児団」-。同小の校歌3番の歌い出しだ。校区内に日鉄嘉穂炭鉱があり、街は多くの人でにぎわっていた。卒業生でもある内藤さんによると、昭和30年代後半、全校児童は約1800人のマンモス校だったという。だが、昭和40年代後半の炭鉱閉山による一気の人口流出と少子化もあり、今はその約7分の1以下、246人に減少した。

 内藤さんは50歳の時の同窓会の際、地元に残っている人がとても少ないことに驚いていた。今回、記念誌づくりを担当して、あらためてそれを実感した。

 1口千円の協賛金。9月の運動会でも保護者や地域の人に募り、校区の約2700戸にも協力を呼び掛ける紙を配ったが、なかなか広がらない。そもそも卒業生の間でも「100周年」はあまり知られておらず、10月17日朝までに集まったのは約120人から計35万円。目標のほぼ3分の1。記念事業で校旗を新調したい内藤さんは頭を抱える。

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 今年から各学年で、地域の自然や文化を学ぶ授業を取り入れた同小。筑穂牛や茜(あかね)染め、北古賀の貴舩(きふね)神社の賀生(がお)賀生(がお)祭りなど地域に触れる機会を増やした。林校長は「進学、就職で地域を離れる児童が多いが、学んだことを心に残してほしい」と語る。

 記念式典は11月5日午前9時半から。山口川や校区の歴史など児童が気付いた地域の魅力を発表するほか、1981年から続く餅つき大会や力士を招いた相撲大会、写真の展示なども予定している。

 内藤さんは「100周年を機に、地域のコミュニティーの場として開かれた学校になるよう『つながり』をあらためて大切にしたい。ご協力をお願いします」と呼び掛けている。記念誌づくりや式典準備を通して地域の絆を再び見つめるきっかけになればと願う。

 記念誌は1冊2千円。内藤さん=090(7532)5574。

この記事は2016年10月18日付で、内容は当時のものです。

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