幸村、薩摩に落ち延びた? 南九州市に伝説、ドラマで来訪増 山中に墓 地域おこしも

 幸村は生き延びて薩摩に逃げていた? 大坂夏の陣で死んだとされる真田幸村(信繁)が実は、豊臣秀頼を守って、鹿児島県南九州市に移り住んだという伝説が地元で言い伝えられている。18日に最終回を迎えた幸村が主人公のNHK大河ドラマ「真田丸」により、幸村の墓とされる同市の石塔を訪れる人は増えており、地元は伝説にあやかった地域おこしに取り組んでいる。

 幸村の薩摩落ち伝説は京童たちが歌った「花の様(やう)なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退(の)きものいたよ加護島(かごしま)へ」との歌で有名になったといわれる。伝説の地は、同市頴娃(えい)町の雪丸集落。南国鹿児島で雪がつく地名は珍しく、幸村がなまったと伝わる。

 墓とされる石塔は、山中にあり、墓石は島津家が「特別な石材」とした山川石製。文字や模様は刻まれていない。墓に通じる坂道は地元で「とんどん坂(殿どの坂)」と言われ、雪丸自治会の雪丸重光会長(68)は「親から近づかないように言いつけられていた」と話す。

 墓には丸い小石がたくさん供えられている。これは幸村の子を身ごもった女性を徳川の追っ手から守るため同町の大川地区に嫁がせ、その子孫が墓参りの際に小石をさい銭代わりに置いたとされる。その女性が産んだ男の子は、真田の2文字の間に江という字を挟んだ「真江田(まえだ)」の姓を名乗った。真江田家の墓には真田の家紋「六文銭」が刻まれている。

 集落の有志は昨年11月、ドラマ放送の開始(今年1月)を控え、墓の見学者をもてなそうと「雪丸幸せ村プロジェクト」と銘打った地域おこしを開始。駐車場を整備し、参道入り口につえを収める小屋を建設、山道にいすや手すりを設置した。

 今年に入ってからは「ゆきまるくん」と名付けた武将キャラクターを制作。道案内の看板を作ったり、地元特産の茶を使った焼き菓子や六文銭クッキーを開発したりした。5月には大河ドラマで主役を演じた堺雅人さん夫妻が訪れ、集落の商店でクッキーなどを購入したという。プロジェクトリーダーの田原三知恵さん(48)は「世代を超えた関係が築け、集落が元気になった」と語る。

 参道の入り口に4月から置いているサイン帳には今月20日現在、国内外から1466人の書き込みがある。最終回翌日の19日に訪れた女性は「泣きました。丸ロス、1年間楽しかった」と記した。20日に東京から訪れた加藤孝伸さん(51)、繭美さん(46)夫妻は「ここが幸村の最期の地であってほしい」と話した。

 幸村の薩摩落ち伝説。多くの幸村ファンの歴史ロマンを駆り立てそうだ。

この記事は2016年12月22日付で、内容は当時のものです。

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