熊本地震と記者 この一本に寄せて<6>大分の現実に目を向け

 ●6月6日付朝刊社会面

 「大分が忘れられているようで心配」。5月中旬、熊本地震で被災した大分県由布市を取材した時、住人の多くがそう吐露した。

 4月16日の本震時、大分では別府市と由布市で震度6弱を観測。直後、由布市の避難所となった由布院小に車を走らせた。短時間の取材後、甚大な被害が伝えられた熊本県南阿蘇村に向かうことになり、そのまま滞在は約2週間に及んだ。大分に戻り、再び同市に足を運べたのは地震から1カ月がたってからだった。

 当時、市や県は落ち込んだ観光業回復のため「大分は元気」を発信することに力を入れていた。しかし、「住民の暮らしはどうだろう」。そんな疑問があった。観光の中心地となる同市湯布院町へと向かう途中、目にしたのは壁に大きなひびが入ったり、屋根がブルーシートで覆われたりした民家が点在する光景だった。

 庭でがれきを片付けていた衛藤正文さん(68)と、妻の貞美さん(69)に出会った。壊れた家屋の修理などに追われ農業に専念できない、と困り顔だった。だが、もっと大変な人たちのことを伝えてほしいと被害のひどかった区域や住民のことを教えてくれた。

 「いつまで続くのか先が見えない」「揺れが怖くて車中泊を続けている」。取材した住民の恐怖や苦悩は、南阿蘇村の被災者と同じだった。そして異口同音に、熊本や観光回復のスローガンの陰になり自分たちの苦しみや復興が置き去りにされる不安を口にした。「元気」とは程遠い大分の被災者の現実にがくぜんとする。数日かけて地域を回り、6月初旬の朝刊で大分の実情を報じた。

 今月、再び衛藤さん夫婦を訪ねた。天井が崩れた離れの中はがれきが転がったままだった。貞美さんは今でも工事などの小さな揺れに恐怖を感じるという。熊本だけではなく大分の復興も、まだ何年もかかる。話を聞き、そう思った。

 別れ際、衛藤さん夫婦が手作りの弁当を持たせてくれた。「記者さんも頑張ってるから」。胸が熱くなった。「忘れんでな、大分の被災者のこと」。手の中に握りたてのおにぎりの温かさを感じながら、正文さんの言葉を心に刻む。「大分の地震」を伝え続けなくては。

 ▼しみず・しゅんき 福岡市東区出身、2015年4月入社。社会部の警察・司法グループを経て、今年3月から大分総局。25歳。

この記事は2016年10月22日付で、内容は当時のものです。

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