熊本地震と記者 この一本に寄せて<8完>未来へと寄り添い記す

 ●6月24日付朝刊第2社会面

 目的地へと車を走らせた県道28号の両側には、ひしゃげた家とぐにゃりと曲がった街灯が並んでいた。その光景がまぶたに焼き付いたまま、だんだんと大きくなる産声の力強さと尊さに、涙がこぼれた。6月23日午前4時53分、熊本県益城町の産婦人科医院。岡村志保さん(42)の第2子、夏依(かい)ちゃんが生まれた。

 当時、参院選(6月22日公示、7月10日投開票)の取材で熊本を回った。少子化や取り残されがちな社会的弱者など、日本を巡る政策課題を、被災地から発信する企画に携わっていた。

 「危険と書いた赤紙が貼られた家に住む出産間近の女性がいる」。そんな話を聞き、岡村さんを訪ねたのは6月17日。家は半壊、水道は復旧していなかった。仮設住宅に入れるのか、出産後の赤ちゃんのお風呂は…。岡村さんは、尽きることのない不安を抱えていた。

 ただでさえ繊細な出産に、被災による生活苦とストレス。取材を受けてもらえるか自信はなかった。取材趣旨を説明した後、昨年10月に自分の第1子が生まれたこと、子どもたちの未来についてよく考えるようになったことを話した。岡村さんは「私なんかでいいのなら」と受け入れてくれた。それどころか、出産直後の分娩(ぶんべん)室にまで入れてくれた。

 出産の翌日、記事を届けると「住所とお子さんの誕生日を教えてほしい」と言われた。「何か贈りたくて」。日常を壊されたのは、こんなに優しい人たちなのだと胸に迫り、また涙が出た。

 今月初旬、益城町内の仮設住宅に移った岡村さんを訪ねた。生後3カ月を過ぎた夏依ちゃんは首が据わり、時折、にこにこと笑う。取材を受けた理由をあらためて聞いた。返ってきたのは素朴な一言。「記念になるかなと思って」

 記念-。夏依ちゃんが大きくなり、記事を読んだら何を思うのだろう。その時、古里はどう立ち直っているのか。そして、その未来へと新聞記者ができることは何か。寄り添い、人々の営みを記していくほかない。新聞の役割の一つである「記録」が、笑って語り合える「思い出」になるまで。そう、強く思った。

 =おわり

 ▼もり・りょうすけ 愛知県豊橋市出身。業界紙記者を経験後、2013年入社。本社都市圏総局を経て16年9月から大分総局。31歳。

この記事は2016年10月24日付で、内容は当時のものです。

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