「人質の妻」126日つづる お父さんはお星さまになったの? 差し入れの本に暗号でメッセージ ペルー・公邸事件20年

 ●福岡市出身・仲江さん

 突然の爆音から、126日に及ぶ夫婦の戦いが始まった。1996年12月17日にペルーで発生した日本大使公邸人質事件。夫が1等書記官だった福岡市出身の仲江千鶴さん(57)=千葉県=は20年の節目に手記「人質の妻」の執筆を始めた。ゲリラにとらわれた夫の生還を待ち続けた当時の記録だ。「今も続くテロは人ごとではない」。一字一字に思いを込める。

 《12月17日 迷彩服で突入してきた集団。催涙弾が投げ込まれ息もできない。フジモリ大統領の身内を差し出すよう、テロリストが要求した》

 天皇誕生日を祝うパーティーの最中だった。ゲリラは600人以上を人質に立てこもり、仲間の釈放などを要求した。仲江さんは大統領の母親をクッションで必死に覆い隠しつつ、死を覚悟した。思い浮かんだのは、近くの自宅に残す幼い長女と長男の笑顔だった。

 間もなく高齢者や女性が解放された。離れた場所にいた夫とは目で会話した。「きっとまた会えるよね」

 《1月中旬 公邸内の書籍の差し入れが可能になる。本に本音を託そう》

 人質は少しずつ解放された。夫の元へすぐに駆け付けられるよう、シャワーの時間さえ惜しんだ。「お父さんはお星さまになったの?」と不安がる娘たち。差し入れの本では、テロリストに気付かれないように、文中の文字を薄い鉛筆で丸く囲んでメッセージを伝えた。つなげて読むと「あいたいだいすき」。

 《4月22日 突入の瞬間。死ぬはずはない。しかし、この銃撃戦の中、生きて帰れるとは思えない》

 連絡もないまま軍が突入した。テレビ画面を食い入るように見詰めた。公邸から人質が飛び出してくる。夫の姿は見当たらなかった。一番つらい瞬間だった。

 直後、日本人全員の無事を知らされた。再会した夫に絞り出した言葉は「お帰り」だった。

 「日本人だけでなく、日系人みんなが支えてくれたから乗り越えられた」。99年に帰国してからは、出稼ぎの親と一緒に来日した日系人の子どもに日本語を教える活動を続けてきた。

 事件から20年、世界中でテロが絶えない。「テロの人質にも家族や大切な人がいる」。そこに思いが及ぶよう、経験者として書き残す。

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 ●ワードBOX=日本大使公邸人質事件

 1996年12月17日、ペルーの首都リマにある日本大使公邸を左翼ゲリラ、トゥパク・アマル革命運動が襲撃。青木盛久大使(当時)や各国要人、邦人ら600人以上を人質に立てこもった。97年4月22日、軍が武力突入。残っていた人質72人のうちペルー人1人と、兵士2人が死亡。実行犯14人は全員射殺された。

この記事は2016年12月18日付で、内容は当時のものです。

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