台湾人主将 野球部けん引 柳川高の黄誉謙選手、甲子園目指す 福岡県

 ●監督「日本人より日本人らしい」

 春夏の甲子園に8回ずつ計16回の出場を誇る柳川高(柳川市)野球部に、初の外国人留学生の主将が誕生した。台湾出身の黄誉謙(コウユウチェン)選手(18)=国際科2年。チームの4番で、守りの要の捕手を務める。スカウトされた野球留学生ではなく、小学生の頃にネットで見た日本の甲子園に憧れ、自ら柳川高を選び入学してきたという。藤丸健二監督(48)の評は「一言で言えば、日本人より日本人らしい選手」。一体どんな青年で、どういう経緯で柳川へ来たのか。練習に明け暮れる野球部のグラウンドを訪ねた。

 「こんちはっ。よろしくお願いします」。帽子を取って大声であいさつしてきたのは、目元涼やかな好青年だった。日本語も流ちょう。「とても外国人とは思えませんね」と水を向けると、「いや、今でも友達に、ユウチェンは言葉が変、とからかわれます」とはにかんだ。

 黄選手は台北出身。野球を始めたきっかけは、5歳の時にテレビ観戦したアジア野球選手権という。台湾が韓国を相手に9回2死から2点差を追いつき、10回サヨナラ勝ちした。「アテネ五輪出場へ、最後まであきらめない選手の姿に感動して、僕も野球をやろうと思った」

 ところが、入学した小学校には野球クラブがなかった。弁護士の父に頼み、小3で野球クラブがある小学校に転校。小5の時に、コーチからネットで見せられた日本の民放の甲子園番組に目がくぎ付けになった。

 「かっこいい。僕もあの舞台に立ちたい」-。憧れはやがて、目標に変わった。

 「でも、お父さんには日本に行きたいと言い出せなかった」。高額の留学費用で家計に負担をかけたくなかったのだ。すると中2の時、父の方から「日本の高校に進んでみたら」と言ってくれた。母を通じて、うすうす気持ちを察してくれていたようだ。父は「お金のことは大丈夫。自分の夢をかなえろ」と励ましてくれた。

 早速、ネットで日本の高校を探し、目に留まったのが柳川高。OBに、台湾出身で阪神タイガースに進んだ林威助(リンウェイツゥ)外野手もいた。2013年秋の柳川高のオープンキャンパスに初めて来日し、野球部の練習を見学。藤丸監督の明るく面倒見の良い人柄に触れ、「この監督にお世話になる」と決めた。

 それから日本語を猛勉強し、14年9月に柳川高の聴講生に。15年4月、同い年の日本人からは1年遅れで国際科に入学。晴れて念願の野球部員となった。

 「寮も外国人が多い国際科の寮ではなく、日本人だけの野球部の寮を自ら選んだ。チームに溶け込もうという意識が最初からあった」(藤丸監督)

 チームでは、遠投95メートルの強肩とパンチ力のある打撃で頭角を現し、1年の秋から正捕手に。そして昨年7月の3年生引退後、100人を超える全部員とマネジャーの投票で8割の支持を集め、主将に選ばれた。

 「野球にひたむきに取り組む姿が皆の信頼を得た」と藤丸監督。一方、黄選手には大きな戸惑いがあったという。「外国人の僕が主将になったら、チームメートに迷惑を掛けるのでは」。だが、3年生から「チームをまとめられるのはおまえしかいない」と励まされ、腹を決めた。

 ただ、藤丸監督の指導は厳しくなった。「主将のおまえが率先してやらないと駄目だろう」「もっと自信を持たないか」。監督の指示を部員にうまく伝えられず、寮への帰り道で泣いた日もある。それでも藤丸監督は「ユウチェンなら乗り越えられる」と信じている。「野球がだれよりも好きで、自分の意思で遠い日本までやってきた。だからこそ可能性を伸ばしてやりたい」

 3月18日には九州大会の県予選が始まる。主将としてどんなチームを目指すのか。間髪入れず答えが返ってきた。

 「ベンチからスタンドまで、全員で甲子園を目指すチーム」

 さらには「地域の人たちに応援してもらえるチーム」とも。メモ帳を手に感心していると、横で聞いていた藤丸監督が「でしょう。だから、日本人より日本人らしい選手とお伝えしたんですよ」と目尻を下げた。

 「甲子園の夢をかなえろ」-。台湾の父の言葉を実現するため、18歳の挑戦は続く。

この記事は2017年02月07日付で、内容は当時のものです。

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