旧三菱住宅 昔の趣なお 韓国・仁川 区が修復、保存へ

 韓国の空の玄関口、仁川国際空港がある仁川市。空港から西へ約30キロ。市最大の繁華街がある富平区に、戦時中に軍需品を製造していた旧「三菱製鋼仁川製作所」の労働者向け専用住宅の一部が残っている。1938年ごろに建てられたとされる長屋式の旧住宅について、区は戦争の歴史を伝える遺産として修復して保存し、記念館を建設する計画を進めている。(ソウル曽山茂志)

 富平駅の南側は、昔ながらの路地が多くひっそりとしている。商店街や韓国最大級の地下街があるにぎやかな駅北側とはかなり対照的だ。駅南口から徒歩約15分。アパートに囲まれた旧住宅が現れた。人けも色彩もなく、全体が沈んだように見える。「時間が止まったまま」(韓国メディア)の「サムヌン地区」。三菱の韓国語読みだ。

 瓦ぶきの長屋が4棟(約90戸)。建物の多くは屋根が落ち込み、壁も崩壊している。開いたままのドアから家の中をのぞくと、狭い台所と一間だけ。崩れた壁の中にソファや家具が埋もれていた。今にも家全体が崩れ落ちそうだ。ただ、長屋の端の一角には花壇があり、カーテンがかかった家もあった。現在も高齢者ら数十人が住んでいるという。

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 戦時中、工場で工員として働いた宋百鎮(ソンペクチン)さん(93)が旧住宅のことを覚えていた。自身は住んでなかったが、「何度も行った」と話す宋さんによると、一帯は日本人用と朝鮮人用と分かれており、長屋には主に朝鮮人技術者が住んでいた。共同浴場やおでん屋もあり「子どもたちが走り回って、にぎやかだった」と振り返った。初めて日本のビールを飲ませてもらったのも旧住宅だった。

 旧住宅は戦後、駐留米軍の音楽隊のメンバーらが住み、「韓国大衆音楽のルーツ」と呼ばれたこともあった。最大千戸以上あった旧住宅は歴史とともに大半が姿を消したが、サムヌン地区だけは残った。「朝鮮戦争後、住む場所を追われた人たちが次第に集まった」(富平歴史博物館)ことに加え、何度か浮上した再開発計画に地権者らがまとまらなかったためという。

 仁川市富平区は、2018年までに一帯約7千平方メートルを、約45億ウォン(約4億4千万円)かけて再整備する計画だ。同博物館は昨年11月末から、旧住宅の保存事業を記念した展示会を開いている。工場で製造した軍刀のほか、戦時中の工場や旧住宅の様子が分かる写真を多数展示しており、小、中学生など1日平均300人が足を運んでいる。

 同博物館の金晶兒(キムジョンア)さんによると、「戦時中の三菱の徴用といえば、日本にある工場の話とばかり思っていた」などの感想があるという。
 終戦から70年超。多くの人に忘れ去られていた長屋が来年、再び「戦争の記憶」を語り始める。

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 ●ワードBOX=三菱製鋼旧住宅

 旧日本軍の軍需工場用に1938年ごろに建設された。工場は42年に三菱製鋼が引き継ぎ、旧住宅も終戦まで使用した。戦時中には千戸分以上あり、現在も約90戸分が残る。

この記事は2017年02月06日付で、内容は当時のものです。

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