昭和流行歌編<169>松平 晃 いつの日君また帰る

 日中戦争、太平洋戦争の下では流行歌も戦時歌謡となり、多くの歌手たちは慰問団として戦地に駆り出された。松平晃が戦地から持ち帰ったものが二つある。一つは世界的に知られるチャイナメロディーの代表作「何日君再来」である。日本語訳は「いつの日君また帰る」。

 〈忘れられない あの日のころよ そよ風かおる この並木道 肩を並べて

 ふたりっきりで よろこびも悲しみも うちあけ なぐさめ 過ごしたあの日 ああいとし君 いつまた帰る 何日君再来〉(訳詞・長田恒雄)

 渡辺はま子の歌でコロムビアからリリースされ、大ヒットしたのは1939(昭和14)年だ。

 渡辺は『何日君再来物語』(中薗英助著)の中で次のように語っている。

 「日本軍の慰問に中国に行った帰りに(松平晃が)持ってきた歌なんです…帰ってきてこれはどうかって会社に出したわけね」

 「何日君再来」は1937年、上海で制作された映画「三星伴月」の挿入歌で、現地でヒットしていた。松平は中国慰問中にこの曲を聴いて、採譜して持ち帰り売り込んだ。そして実際に吹き込んだ。渡辺はさらに語る。

 「女の声が入った方がいいというのでね、テスト盤でいっしょに唄った…そしたらね。女の声だけの方でいいやっていうことになって…ほんとに松平くんには悪い、すまない、もう感謝感激なんですよ」

   ×    ×

 採譜して持ち帰った松平は吹き込みまでしたが、会社は渡辺を選択して松平の歌はお蔵になり、日の目を見なかった。この松平外しには別な力が働いていたようにも思える。

 「何日君再来」は数奇な運命をたどった歌だ。戦時中、抗日歌とされたり、日本軍の懐柔歌と言われたりした。戦後も台湾では「君」を「日本」と読み変え可能なことから禁止歌にもなったりした。

 1980年代、テレサ・テンが歌ってから復活し、それからは多くの日本人歌手もカバーしている。

 もし、この曲を松平の歌で発売されていたら戦後の松平の歌手人生は違っていただろう。1969年にリリースされた松平のLP「松平晃を偲んで」に、残っていた音源から「何日君再来」は収録された。その幻の歌を聴くことができる。

 もう一つはなにか。松平の趣味は8ミリカメラだった。中国戦線にも持って行った。遺族の元には松平が撮影したフィルムが残っている。遺族によれば中国戦線だけでも「20巻近くある」という。そこにはどのような映像が写っているのか。貴重な昭和史の証言になるに違いない。まだ、遺族も含めだれも見たことがない。これはいまだ封印されたままだ。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/08/06付 西日本新聞夕刊=

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