なぜ?街の真ん中に「国境」 住宅街の中に突然、大きな石碑 北九州市 福岡県

 43歳の私が少年時代を過ごした八幡東区には「国境」があった。とはいっても日本の国境ではなく、江戸時代の「豊前国」と「筑前国」の境だ。なぜ、北九州市の真ん中に国境があるのか。幼いながらも疑問を抱いた記憶がある。おぼろげな記憶を頼りに、約30年ぶりに「国境」を訪ねた。

 八幡東区高見2丁目。閑静な住宅街の中に突然、高さ3メートルを超える石碑が現れた。表面に「従是西筑前国」(これより西、筑前の国)と彫られている。

 「福岡藩が国境に置いた国境石です。大きさは県内最大級といわれます」。国境石を研究している金丸房男さん(70)=小倉北区中井=の解説だ。「街の真ん中に昔の国境が走っているのは、北九州市が5市合併で誕生したため。全国的にも珍しいと思いますよ」

 豊前と筑前の国境線は、現在の戸畑、小倉北両区の間を流れる境川を通って八幡東区に入り、高見周辺に及んでいるという。

 高見から南へ約7キロ。山深い同区田代地区にも国境石があると聞いて訪ねた。林道沿いの竹林の中に、高さ1メートルほどのこけむした自然石が見えた。「従是西筑前国」の文字がある。

 金丸さんによると、市内にはこのほか十数個の国境石が残っている。金丸さんが育った境川沿いにも多くの国境石があったが、現在は市立いのちのたび博物館(八幡東区)などに移設されているという。

 「国境石が多く残っている場所は境界争いが激しかったところのようです」。豊前の旧小倉市で育った金丸さんも、境川を挟んだ筑前の旧戸畑市の子どもと石を投げ合ってけんかをしていたという。「大人同士が仲が悪かったので、子どももいがみ合っていた。戸畑側に足を踏み入れるのも怖かった」と振り返る。

 国境の名残は石だけではない。板櫃川(八幡東区)と境川にはそれぞれ、川をまたぐ「両国橋」がある。北九州市の文化財を守る会(小倉北区)によると、校区内に国境がある八幡東区の高槻小校区には、豊前と筑前の国境を示す石標が3基建てられている。1940年に区画整理事業の記念として設置されたという。

 今も豊前と筑前の意識が残っているのか。金丸さんは「昔は交流が少なかったが、今は地域の歴史を調べるために、お互いに協力しています」と否定した。世界では、国境に新たな壁を建設しようという指導者もいる中、昔の国境の存在に気付かず暮らせることは幸せなことだろう。先人たちに感謝しなければと思った。

この記事は2017年03月10日付で、内容は当時のものです。

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