【ここで 在宅はいま】最期は母の残した家 「胃ろう抜いて」意思尊重

 ゴロゴロゴロ…。鹿児島市の民家の6畳間。電動ベッドに横たわる盛(もり)泰寛さん(72)の喉から、たんが絡んだ音が聞こえる。そばには抗生剤が入った肺炎治療の点滴袋が下がる。

 「最近回数が増えて」と、ヘルパーが顔を寄せた。昼食で用意した豚肉やサトイモなどのとろみ食をスプーンで口に運ぶも、盛さんが飲み込むのはほんのわずか。「きついですか」「んん…」

 2014年4月、脳梗塞を患った。左半身がまひし、言葉も失った。寝返りも打てず、朝昼晩の食事時に合わせて毎日訪れるヘルパーと週に1度の訪問看護師が手助けし、命をつなぐ。

 「本人、入院拒否」。机の上のケアノートには、4日前に訪れた看護師の書き込みがあった。肺炎の症状悪化や食事量の低下を懸念し入院を促したものの拒まれたという。「ちゃんと食べないと、入院して経管栄養になりますよ」。ヘルパーの言葉に、盛さんはこの日もゆっくりと首を横に振った。

   ◇    ◇

 《先生へ ハラのイロウのパイプをひっこぬいて下さい》

 鹿児島市の「成人病院」の小齊平(こさいひら)智久副院長(46)は昨年4月、盛さんの病室でホワイトボードに目がくぎ付けになった。盛さんは別の病院で、胃に穴を開けて管で栄養を注入する「胃ろう」を施した後に入院していた。

 口は開き、視線は定まらない。意思表示は難しいと思っていたが、盛さんはスタッフが持つボードに震える右手でペンを走らせた。

 「えっ、何。どういう意味?」《イロウをしたら自宅にかえす しないとしせつに入るといワれた》「納得して胃ろうを作ったんじゃないの?」《高熱であたまがボーッとしていました》「家に帰りたいの?」。かすかにうなずく。

 このやりとりを機に、口から食べるリハビリが始まった。見通しが立った1カ月後、胃ろうを外した。《寿司屋に行きたい》。ボードにこう書き残し、盛さんは家に戻った。

   ◇   ◇

 だが体は徐々に弱っていった。気管にたんや唾液などが入る誤嚥(ごえん)性肺炎を数カ月に1度発症。同居する弟の泰憲さん(69)には脳出血の後遺症などで視覚や歩行に障害があり、症状が悪化するたびに連絡を受けた看護師が処置した。

 泰憲さんによると、早くに亡くなった父に代わり、母が家計を支え、1960年に家を築いた。盛さんは高校卒業後、司法書士の国家試験に合格。ただ筋肉が徐々に収縮する神経疾患ジストニアを幼少期から患い、働くことができなかった。脳梗塞で寝たきりに。今は兄弟の障害年金でほそぼそと暮らす。

 胃ろうは肺炎を予防し、延命にもつながる。「口から食べられなくなったときが命尽きるとき。死ぬときはわが家で。それが強い意思なら、その選択を尊重し支えるだけです」。訪問診療を担う主治医の五反田満幸さん(64)は語る。

 盛さんの視線の先には父母の仏壇がある。「91歳まで生きた母はこの家で眠るように逝きました」。泰憲さんは振り返った。「兄はずっと入退院を繰り返してきた。だからこそ、最期はここで、と考えているのです」

   ◆    ◆

 苦楽が染み込んだ自宅に戻る患者が増えている。どんな思いで療養したり、最期を迎えたりしようとしているのか。在宅のいまを見つめる。


 2017/04/23付 西日本新聞朝刊

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