【ここで 在宅はいま】1日でも長く生きて 働き盛りの夫 回復信じ介護

 隣の介護用ベッドで寝ている夫がごそごそと頭を動かし始めた。まだ夜明け前。気付かないふりをしていると、今度は口からクチュクチュと鳴らす音。「こんな時間に…」。愚痴をこぼしながらも、夫の体の向きを変えると、安心したように寝入った。「音は『起きてくれ』の合図なんです」

 貞刈昭仁(しょうじ)さん(60)、暢代(のぶよ)さん(57)夫妻=福岡市中央区。地元のテレビ局記者だった昭仁さんは都内に単身赴任していた2010年3月、地下鉄ホームで突然倒れた。心臓の大動脈が裂ける「大動脈解離」。病院に救急搬送された。

 福岡市内の病院に内科医として勤めていた暢代さんは知らせを受け、すぐに上京した。「頑張ってね」「麻酔が効くから頑張りようがなかろう」。手術前には会話を交わしたが、手術室から出ても人工呼吸器は外れず。合併症で脳の血流が悪くなり、意識が戻らない状態となった。

 厳しい容体について、病院側から説明を受けた。だが、暢代さんにとって「延命拒否」の選択肢はなかった。まだ働き盛り。回復の望みを捨てたくなかった。胃に直接流動食を入れる「胃ろう」と、喉に穴を開けて酸素を送る「気管切開」に応じた。

 それから7年-。「毎朝のささやかな“やりとり”がうれしいんです」。暢代さんは笑う。

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 山口大管弦楽団の先輩と後輩。結婚後、福岡市街地を望む丘陵地に中古の一軒家を購入した。周囲には緑も多く、昭仁さんが気に入った。子どもはおらず、互いに仕事が多忙だったが、時間を共有するよう心掛け、よく会話した。

 「もし、あなたが倒れたら、私はとことん、やるけんね」。10年ほど前、ふとした拍子に延命治療が話題となった。「ふーん」。昭仁さんは笑って聞き流したという。「まさか現実になるなんて思いもしませんよね」

 緊急手術から4カ月後、昭仁さんは福岡市の病院に転院した。「いずれ家を建て替えよう」。以前、2人で決めていた。予期せぬ出来事で夫の気持ちは確認できないが「きっと家に帰りたいと思っている」。同じ場所にバリアフリー仕様の新たな住まいを建て、昨年6月から共に暮らす。

 「じわーっとですが、回復しているような気がします」と暢代さん。毎朝のやりとりだけでなく、宙をさまよっていた視線も定まってきた。「それもこれも生きていたからこそだと思います」

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 昭仁さんを介護するため、暢代さんは病院系列の診療所に異動させてもらった。日中、訪問看護と訪問介護に頼り、それ以外はずっと付き添う。

 「俺の最期は何もせんでよ」「胃ろうをしてまで生きたくない」-。診療所では患者から懇願されることも少なくない。だが、例えば、急に倒れた高齢者の家族に「お年だから、このままみとりましょう」と医師が誘導することには疑問を感じる。「医療費抑制を理由に延命治療を『悪』と考える風潮が強まっています。回復の見込みや介護の大変さを説明した上で選んでもらうべきではないでしょうか」。夫のおかげで、より一層、患者や家族の立場で考えるようになったという。

 昭仁さんが赴任していた海外支局でのツーショット、退院祝いに駆け付けたテレビ局の同僚たち…。2人の寝室には思い出の写真が飾られている。「どんなかたちでも、1日でも長く生きてほしい-。この一心でした。私のエゴかもしれません。でも、夫は受け止めてくれていると思いたいです」


 2017/05/15付 西日本新聞朝刊

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