台湾東部 日本の足跡残る 開墾、風土病と闘った移民村 当時伝える民家、神社 先住民の暮らしに影響も

 都市部や観光地が集まる台湾西部に比べて日本人になじみが薄い台湾東部。しかし、そこには約70年前まで日本からの移民が村をつくって生活していた。当時の住居などは今もひっそりと残っており、新天地を求めて台湾へ渡った先人たちの暮らしや苦労をしのぶことができる。 (花蓮=台湾東部・中川博之)

 1895~1945年に台湾を統治した日本政府は11年から、台湾東部に10カ所以上の移民村を建設。九州や四国、北海道などの農村地帯から農民たちが入植し、サトウキビや稲、タバコを栽培した。台湾は3千メートル級の山々が南北に連なる中央山脈で西と東に分断されており、開発が進んでいた西側に対し東側は未開の地。「暖かくて良い所」と聞いて移り住んだ日本人たちは、見渡す限りの原生林にぼうぜんとし、マラリアなどの風土病に苦しみながら開墾したという。

 花蓮県寿豊郷の豊田移民村は、熊本県などから約670人が移り住み13年に開村。村内は碁盤の目状に道路が整備され、学校や病院、派出所、神社が建てられた。

 村内の幹線道路沿いに鳥居があった。移民村当時に建てられた豊田神社の名残だ。神社は51年に台風で壊れたが、神社跡に立つ碧蓮寺にはこま犬や石灯籠、開村30周年記念碑が残り、近くには日本が統治した当時に建てられた民家や剣道場もある。

 地元で民宿を営む李安〓(〓は「王へん」に「其」)さん(59)によると3月、18歳まで村内で暮らしたという日本人女性が娘2人と一緒に住居跡を訪れ、かつての生活を懐かしんだという。李さんは「日本統治時代の建物は地域の歴史を伝える貴重な宝。長い間、放置されていたが、この10年ほどは歴史的価値が見直されている」と保存の取り組みに期待する。

 日本人移民は、開墾によって生活の場を奪われる先住民の抵抗にも苦しんだ。林田移民村があった花蓮県万栄郷の「原住民文物館」は、日本人に抵抗した歴史や日本統治による暮らしの変化を伝える。

 当時、先住民は対立する部族の首を切ったり顔に入れ墨を入れたりする風習が残っていたが、日本政府が禁止。食料調達方法も狩猟から農耕へと劇的に変化した。文物館職員の王依美さん(52)は「伝統文化が途絶えた残念な面もあるが、首狩りや入れ墨といった風習が無くなったのは良かった」と語る。

 さらに約120キロ南の台東市にも日本人移民の足跡が色濃く残る。市内には日本統治時代に約2万平方メートルの敷地内に日本人向け住居が建てられていたという。市は2003年に一部を修復して歴史資料などを展示して一般公開。今後4、5年で残りの空き家も復元する計画という。

 台東県卑南郷に住むピュマ族の孫大山さん(70)=民族名・パエダバン・タイザン=が、約80年前に祖父が日本人の大工に頼んで建てたという自宅を見せてくれた。ほとんどは現代風に改装されていたが、4畳半の畳部屋と「奉上棟 黒木政次郎」と書かれた棟上げ時の板が残っていた。「日本統治時代はどこの家にも神棚があった。もう天照大神は日本に帰ってしまったけどね」

この記事は2017年05月01日付で、内容は当時のものです。

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