【ここで 在宅はいま】ノートで尊厳守る 望まぬ延命避けるために

 「あのとき、きちんと聞いていたらよかったのですが…」。北九州市八幡西区の主婦野村尚子さん(59)は、今も後悔の念が消えない。

 2006年1月、前年に患った脳出血でリハビリ中の義母が病院で再び倒れた。救命処置で命は助かったが、全身にまひが残り、飲み込む力は低下した。言葉も失った。「今のように点滴だけでは2週間しか持ちません。(胃に直接栄養を送る)胃ろうを作ります」。主治医は同意書への署名を促した。

 「延命治療はしないでね」。福岡市で一人暮らしていた義母が以前、漏らした言葉がよぎった。当然、表情には切迫感はなく「そのうち詳しく聞こう」と受け流した。

 「胃ろうって延命治療なの?」。主治医の説明に一人、逡巡(しゅんじゅん)した。夫は仕事中で相談できない。胃ろうを拒否したら、義母は間もなく人生を終える。「私が命を絶つ‐。とても耐えられず、決断することができませんでした」。同意書に署名した。その夜、夫に伝えると「それでいいよ」と思いやってくれた。

 義母は3年後、81歳で亡くなるまで病院で過ごした。在宅療養も勧められたが、脳梗塞の後遺症がある実父を自宅で介護しており、余裕がなかった。寝たきりの義母は手足の関節が曲がる拘縮が進み、日に日にやせ細る。面影を失った義母の姿がつらいのか、夫も娘も見舞いが遠のいた。

 義母は年を重ねてもおしゃれだった。「最期は苦痛ばかりだったのでは」。尚子さんにのしかかる。

    ◇    ◇

 宮崎市清武町の公民館。「無理に書かなくてもいいですよ」。宮崎市保健所の坂田清美さん(47)がお年寄りたちに語り掛けた。「家族と話題にしてもらえれば」

 お年寄りの手には「わたしの想(おも)いをつなぐノート」と書かれた冊子。回復の見込みがなくなった場合の治療法、どこで誰と最期を迎えたいのか、そして私の想い…。4年前、市保健所がつくった“宮崎版エンディングノート”。表紙には亡くなった祖母と、いとおしげにその頬をさする孫の写真が使われている。

 「死ぬときのことはあんまり考えたくない。息子がいいようにする」(86歳男性)、「ノートに書こうと思う。子どもにも伝える」(91歳女性)、「まだ元気。書くのはちょっと」(87歳女性)、「子どもに『延命治療はせんで』と言ったら『そんな話するな』と怒られた」(84歳女性)‐。いろいろと胸中を吐露するお年寄りたち。「いざというときは家族も決められない。家族のためにも必要なノートなんですよ」。坂田さんは付け加えた。

 保健所によると、医療機関や介護事業所、薬局などを通してこれまでに約1万8千部を配布した。「行政が延命治療の拒否を勧めている」との誤解を避けるため、同時に作成した手引書で人工呼吸器や胃ろうをつけて穏やかに生きる神経難病患者の様子も紹介。また、保健師や薬剤師、病院職員向けの研修会を開催し、お年寄りにノートを渡すときには時間をかけて説明しているという。

    ◇    ◇

 ノートがなぜ必要なのか。「本人の意思を尊重することになり、尊厳を守ることにもつながります」。宮崎市が立ち上げたプロジェクトメンバーで宮崎大の板井孝壱郎教授(臨床倫理学)は指摘する。

 救急搬送された高齢者の延命治療後、かかりつけ医から「治療を拒否していた」と知らされたり、駆け付けた家族から治療の中断を求められたり…。宮崎大医学部付属病院など救命現場の戸惑いが背景にあるという。

 ただ、配布後の活用について、宮崎市の担当者は「把握できていない」。市消防局も「延命拒否が書かれていたとしても家族が救急車を呼んだ以上、処置や搬送はやめられない。主治医の指示が必要」との立場だ。

 「まだまだ手探りの状態です」。板井教授と同じプロジェクトメンバーの一人で、宮崎市で訪問診療を担う開業医牛谷義秀さん(58)は明かす。

 「家族はもちろん、主治医もノートの内容を理解しておくことが大事。その人の最期の意思を生かすにはどうするか。救命の現場を含め社会全体の覚悟が必要ではないでしょうか」

 牛谷さんは問い掛けている。


 2017/05/29付 西日本新聞朝刊

PR

医療・健康 アクセスランキング

PR

注目のテーマ