【ここで 在宅はいま】家でみとり 夫婦関係修復 仕事しながら介護8年 ほか
どんな思いで在宅療養を選んだのか、最期を迎えようとしているのか。連載「ここで~在宅はいま」では、厳しい場面に直面した患者や家族が胸中を語ってくれた。「みとりは愛の完成形」「支援態勢の充実を」-。さまざまな反響を紹介する。
●家でみとり 夫婦関係修復 仕事しながら介護8年
家でのみとりは「愛の完成形」だと思います。
2006年9月20日夜、夫が台所で倒れました。1週間後、手術で血腫を取り除きましたが、右半身がまひし、言葉も十分に発することができなくなりました。「家に帰りたい」。夫の意思を尊重しました。
10年ほど前に購入した中古住宅。子ども3人が自室を持てる部屋数の多さを、夫は気に入っていました。寝たきりですが、気管切開や胃ろうを望みませんでした。当時、私は大分県立病院の看護師で、仕事をしながら夫を支えました。介護だけでなく普通の生活を営んだことが夫の心の安らぎになったと信じています。
8年間の療養の末、夫は65歳で亡くなりました。結婚後、周囲から離婚を勧められる出来事も少なくなかったのですが、介護を通して夫婦関係が修復されていきました。失語は沈黙となり、心と心を通わせることができました。「あなたがいて私がいる」「私がいてあなたがいる」。愛を育んだ8年間でした。
(大分市、大坪洋子さん)
●宮崎のノート 手に入れたい
宮崎市の「わたしの想(おも)いをつなぐノート」は良い取り組みですね。私もノートがほしい。福岡県内で作成している自治体はありませんか。
市販のノートを買いましたが、財産整理など主に死後のことについて書き留める内容で、結局書かなかった。急変時にどんな治療を望むのかを具体的に文章で残しておくことは大切だと思う。ノートに法的な拘束力はないとのことですが、少なくとも家族は「本人がこう望んでいたから」と、思いをくんでくれるのではないでしょうか。 (福岡県飯塚市、50代男性)
●胃ろうを選択 今も思い悩む
2年前、母を病院でみとりました。療養中、高カロリー輸液か胃ろうか決断を迫られました。悩んだ末、回復したら胃ろうを外して口から食べることを目標にしました。リハビリのおかけで、昼食は食べられるようになり、車椅子で外出するほど回復しました。
ただ、ある日、もう一口と欲張ったところ、誤嚥(ごえん)性肺炎を患い、帰らぬ人となりました。母と一緒の時間を持てましたが、私の決断がよかったのか、今も苦しんでいます。最期をどう過ごすか、とても重要なことだと思います。
(福岡市、女性)
●仕事との両立 大変さ伝わる
認知症のお母さまをみとられた話は、大変さが伝わってきました。仕事をしながらの介護。そばに付いて、お母さまを最期までみたいという気持ちがあったからこそ在宅介護を選択されたのでしょうね。お母さまもきっと喜んでいますよ。
私の母も認知症です。症状が進み、実家に連れて帰ったことでいろいろと問題が生じました。母は今、施設にいますが、家族と不仲のため見舞いに行けません。私の友達も仕事と親の介護を頑張っています。でも私にはその力がない。母に申し訳ない気持ちです。
(福岡県宗像市、女性)
●恵まれた環境 6歳児みとる
小児がんを患った6歳の長男を昨年、福岡市の自宅でみとりました。在宅療養の期間は5カ月。かなり恵まれた環境でないと、在宅は難しいと感じました。
訪問診療に取り組む医師や訪問看護ステーションが近くに必要。私と夫はそれぞれ介護休暇を取って24時間付きっきり。熊本で暮らす夫の母親が同居してくれて家事のほか、小学生の長女にも心を寄せてくれました。1歳の次女は近所に暮らす私の両親が面倒を見ました。
福岡市は医療事情がよく、親も元気。振り返れば、どれが欠けても無理でした。住んでいる地域や環境によって、選択肢が狭まってはいけない。支える態勢を充実させてほしい。
(福岡市、35歳女性)
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連載「ここで~在宅はいま」はひとまず終わります。
2017/06/05付 西日本新聞朝刊