昭和流行歌編<171>松平 晃 同時代を生きた「戦友」

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「長崎シャンソン」のレコー

 松平晃の戦後の足取りをたどる前に、戦前、戦中の流行歌の世界で同時代の空気を吸った大分県日田市出身の歌手、樋口静雄について触れてみたい。

 樋口静雄の名前を知ったのはこのシリーズの「キャバレー編」で取材したドラマーの藤本晃の口からだった。

 「戦後まもなく、樋口静雄の九州ツアーのバックバンドとして一緒に回りました」

 樋口が歌った「長崎シャンソン」は1946(昭和21)年にヒットした。戦後のご当地歌謡の先鞭(せんべん)をつけるものだった。

 〈夢の港の 長崎に 今日も来た来た 黒船が ギヤマン・グラスに 酌む酒は 酔うてうれしい 酔うてうれしい 味だそな〉

 樋口は故郷で歌の勉強をした後、1937年にキングレコードからデビューした。異色作は1939年にヒットした「チンライ節」である。

 〈手品やるある 皆来るよろし 上手くゆこなら 可愛がっておくれ… 刀なんぞは 不要不要(ぷよぷよ)あるよ 喧嘩(けんか)よくない 麦播(ま)くよろし… チンライ チンライ…〉

 日中戦争下の戦時歌謡としては軍国色は薄く、ユーモアあふれたコミックソングだ。刀は「不要」で「喧嘩より麦を播け」と武器を捨てて、鍬(くわ)を持てと歌っている。

 このアルバムを軍部が数十万枚買った、というエピソードがある。軍部は武装解除を勧める歌と取ったのか、真意はよくわからない。発禁処分になってもおかしくない歌だが、戦局が悪化しない前の脱力系の流行歌である。

   ×    ×

 戦後、「長崎シャンソン」以外で、樋口の名が浮上するのは「同期の桜原作者騒動」だ。

 〈貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため〉

 この「同期の桜」の元歌になったのが樋口が歌った1939年の「戦友の唄」だ。

 〈君と僕とは二輪の桜 同じ航空隊の枝に咲く 血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて離れられぬ〉(作詞・西条八十、作曲大村能章)

 「同期の桜」と「戦友の唄」は曲は同じでも歌詞は違う。「私が作った」と名乗り出る人もあり、訴訟にもなった。元詞は西条だが、替え歌として定着した、とみられている。

 樋口は「長崎シャンソン」のヒット後、1948年に歌謡界から引退、1973年に62歳で死去した。引退後はサラリーマン生活をし、宴会の席では持ち歌を披露していた、という。夫人は同じキングの歌手、三門順子だが、三門は38歳で死去している。

 樋口は松平と同じように忘れられた昭和の歌手だ。二人の交友はなかったと思われるが、流行歌の世界を彩った「戦友」だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2013/08/20付 西日本新聞夕刊=

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