昭和流行歌編<172>松平 晃 「紅白音楽試合」に出演

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車好きだった松平(1960年)

 NHKの国民的番組「紅白歌合戦」の前身は終戦の年、1945(昭和20)年の大みそかにラジオ放送された「紅白音楽試合」である。約15組の男女対抗戦など紅白歌合戦の原型がすでにできあがっていた。ただ、現在と違い非公開だった。

 番組名は最初、「紅白音楽合戦」だったが、GHQ(連合国軍総司令部)から「敗戦国が合戦とは何事か」とのクレームがつき、合戦は「試合」に変更された。

 戦後の流行歌の出発を告げるのはヒット曲第1号の並木路子の「リンゴの唄」だ。

 〈赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空 リンゴはなんにも いわないけれど リンゴの気持ちは よく わかる リンゴ可愛(かわい)や 可愛やリンゴ〉

 戦前のベテラン歌手にまじって新人の並木も「紅白音楽試合」に出場し、この曲を歌った。

 司会は白組が日本を代表する喜劇俳優の古川ロッパ、紅組が女優の水の江滝子。ロッパは筆まめで戦前、戦中、戦後にわたって一日も休むことなく日記をつけていた。この日も「二時間近く、司会をして、すっかり疲れてしまった」などと記している。

 松平は戦前、古川ロッパ一座の公演にも参加している。ロッパの日記にも松平の名前が時折、顔を出す。

 「松平晃が来て、三人でホテルのグリルへ…藤山のオゴリ」(1938年7月5日)

 ロッパは歌手の渡辺はま子の病気見舞いに藤山一郎と同行、松平が合流したのだ。

   ×    ×

 紅白音楽試合の詳細な内容は不明だ。ロッパの司会で「次は松平晃さん、歌うのは『花言葉の唄』です」と紹介されたのかもしれない。

 〈可愛いつぼみよ きれいな夢よ 乙女心によく似た花よ 咲けよ咲け咲け
 朝露夜露 咲いたらあげましょ あの人に〉 

 この歌は1936年に公開された新興キネマ作品「初恋日記」の挿入歌で、主演した松平と伏見信子のデュエット曲だった。二人はこの縁で一時、結婚生活を送る運命的な曲だった。どのような気持ちで松平は歌ったのだろうか。

 戦後のスタートを切る大型歌謡番組のメンバーに選ばれたことはやはり、戦前の松平への評価だっただろう。

 「紅白音楽試合」は1951年に「紅白歌合戦」として復活し、再スタートした。53年からはテレビ放送も始まり、ラジオからテレビへ移り、大みそかの恒例行事として定着した。しかし、松平は新しいメディアのテレビで歌うことはなかった。

 松平はレコードとしては戦後の5年間で数曲しか出していない。それもヒットには至らなかった。「紅白音楽試合」への出演が歌手としての最後のスポットライトだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/08/27付 西日本新聞夕刊=

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