【人の縁の物語】<34>ゆいぶみ 「手紙」が伝える戦争(番外編) 亡き父に守られて

父がつづった手紙を眺める佐藤瑞枝さん。その内容は自身の子育てにも生かされてきた 拡大

父がつづった手紙を眺める佐藤瑞枝さん。その内容は自身の子育てにも生かされてきた

 「手紙」を通して戦争の記憶をたどった企画「ゆいぶみ」(8月13日~9月3日まで全4回)。掲載中、福岡市東区の佐藤瑞枝さん(69)から「私も戦死した父の手紙を人生の大きな支えにしてきました」と電話をもらった。戦地からつづられた350通の手紙には、家族への深い愛情があふれていた。

 「記憶はなくても、これがあったから父の存在をいつも身近に感じていました」

 佐藤さんがそう言って見せてくれたのは、色あせた分厚い冊子。太平洋戦争初期に、軍医として旧満州(現中国東北部)に招集されていた父の吉武胖(ゆたか)さんが、家族へ宛てた手紙を本のようにまとめたものだ。

 放射線科の医師だった胖さんは1931年の満州事変後、幾度も軍に招集され、旧満州をはじめ中支(現中国中部)やフィリピンのルソン島などへ赴いた。40年に母のサキさんと結婚した後は、行く先々から毎日手紙を送り、戦地から戻るたびに、その手紙を日付順に並べて製本していたという。その文面からは、現地の暮らしの様子や家族への思いが読み取れる。

 《今日は吹雪がひどかったり日が照ったり可笑(おか)しな天候》《陥落という輝かしい勝利の中には多くの帰らざる犠牲が払われているのです》《内地からのおたよりがどうしてこんなに待ち遠しいのでせう》《(家族の)記念写真をカバンに入れどこへでも持参して眺めております》

 胖さんは45年6月15日、負傷兵の治療にあたっていたルソン島で戦病死した(享年34)。当時1歳半だった佐藤さんは父のことを覚えていない。代わりに、幼いころから繰り返し読んできた手紙が父の人柄や家族への深い愛情を教えてくれた。

 信心深いクリスチャンだったこと。音楽が好きで、レコードを聞くのが一番の楽しみだったこと。花や月を愛(め)で、見た目によらず甘党なこと。まだ字が読めない幼子に手紙を送るほど、愛情を注いでいたこと…。

 手紙の多くは引っ越しなどで散逸し、手元に残っているのは、佐藤さんが生まれる前年の42年3月から8月までの分。兄の紀道さん(72)がまだ生まれて間もないころで、子育てに関する考えが繰り返し記されている。

 《子宝とはよく云(い)ったものです。これに勝る宝は世の中にはありませんね》《一秒間でも離れることはいけませんよ。深いいつくしみの下に育てあげねばなりません》《親は、最善の努力を払いあらゆる犠牲を惜しまぬ事です》《音楽教育をしっかり施してください》

 佐藤さんは自身の子育ての最中、何度も手紙を開いた。

 今年5月、サキさんが96歳で亡くなった。裕福な家庭に生まれて苦労知らずだったのに、28歳の若さで夫を亡くした後は再婚せず、女手一つで2人の子を育てた。つらいことも苦労も多かったはず。だが母は、愚痴一つこぼさず、ただただ前を向いて生きる人だった。

 母を支え続けたのも、父の存在だったのかもしれない。今ごろ二人は、天国で再会していることだろう。「よく頑張ったね」と父に褒められて、にっこりと笑う母の顔を思い浮かべる。

 「私たち家族は、手紙という形で、父にずっと守られてきたんだと思います」


=2013/09/17付 西日本新聞朝刊=

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