福岡壊滅 火の雨降る 死者・不明1100人超 B29、220機2時間爆撃

1945年6月19-20日

 「火の雨が降った」。生存者はそう語り継ぐ。1945年6月19日午後11時すぎから始まった福岡大空襲。約2時間近く続いた結果、町は焼き払われ、被災者は約6万人を超えたとされる。被災の記憶を人々はどう抱え、戦後70年の節目を迎えようとしているのか。九州各地の空襲体験者たちも含め証言に耳を傾けた。

 1945年6月19日午後3時55分、マリアナ諸島の米軍基地からB29爆撃機が次々に福岡に向かって飛び立った。

 同10時半すぎ、福岡地区に警戒警報発令。ラジオは「有明海方面に敵機編隊侵入。長崎、大牟田方面警戒を要す」と伝えた。同11時前には空襲警報に変わり、サイレンが鳴り響いた。

 同11時11分、B29爆撃機220機余りが脊振山を越えて福岡上空に到達。空襲が始まった。東西は御笠川から樋井川までの約5キロ、南北は海岸線から大濠公園までの約1・8キロの範囲が集中的に波状攻撃された。

 早良郡入部村、内野村、田隈村(いずれも現福岡市早良区)や、糸島郡雷山村(現糸島市)、筑紫郡の安徳村、岩戸村(現福岡県那珂川町)も爆撃された。

 20日午前1時53分、空襲警報解除。市街地の火災は、同6時半ごろに鎮火した。
 福岡管区気象台の観測によると、気温は19日午後11時から20日午前2時にかけて3・4度上昇。湿度は85%から58%に下がった。

 被災者や焼失戸数について「福岡市勢要覧」(1947年)は、被災者約6万599人、死者902人、行方不明者244人、被災戸数1万2693戸とする。だがその後の聞き取り調査などでデータに不足があることが判明。それ以上の被害だったと予想される。

=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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