【空襲体験者の証言】ウーウー警報音 本物だ

古野 純一さん(84)の証言

 その夜、警戒警報は鳴ったが緊張感はなかった。旧制中学4年生の私は、福岡市下名島町(現在の中央区天神3丁目)の自宅から、学徒動員で近くの自動車整備工場に通っていた。サイレンで工場の警戒に駆けつけなければならないが、前夜の警報では何も起こらなかった。「今夜はいいだろう」と自宅にいた。

 各地の空襲はラジオ、新聞で知っていたが、現場の悲惨な状況は報道されなかった。戦争のただ中にいたが、私に実感はなかった。

 やがて、ウーウーと空襲警報が響き、「敵機襲来」と叫ぶ声が聞こえた。「本物らしい」。母や弟たちと家の前の防空壕(ごう)に入った。

 西の空が真っ赤になり、B29の編隊が爆音をとどろかせて飛来。空からシャーシャーと焼夷(しょうい)弾が降った。高さ30~40メートルはある火柱が立ち上り、バリバリバリ、ゴーッと燃え広がった。50メートルほど離れていても熱風が顔に吹き付けた。「危ない」。母に言われ、追われるように近くの寺に避難。墓石の間に身を隠し、本堂の建物の向こうに、炎に照らされた黒煙が流れるのを見た。一睡もできず夜を明かした。

 翌朝、町は消えていた。熱気の残る道を戻ると自宅はない。父が愛読した全集が、そのままの形で灰になっていた。「これが戦争なんだ」と立ち尽くした。

 町内会長として、夜通し走り回っていた父と、そこで再会できた。だが、町内には、防空壕で亡くなった家族もあった。私たち市民が犠牲になるのが空襲なのだ。

 (福岡県太宰府市)

=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ