【空襲体験者の証言】地中へ アリになりたい

浜田 芳子さん(94)の証言

 あの夜も今川の家で、義父母たちと暮らしていた。夫は陸軍軍人で関東にいた。枕元にはいつも、防空頭巾とボストンバッグを置いていた。中にはおしめと産着を入れていた。初めての子が大きなおなかにいた。

 遠くで爆音が響き、私はボストンバッグだけを持ち、家の前にある寺の防空壕へ急いだ。もう近所の人たちでいっぱいだったが、何とか入れてもらえた。ドーンドーンと空襲は激しさを増す。入り口付近でおなかを抱えてうずくまり、私は「アリになりたい」と思った。アリになって地中深くに逃れたいと思った。

 その間、義父母は井戸の水がかれるまで、屋根に水をかけ続けた。代々続く家はそうして生き残った。煙に包まれ、ぼんやりとした朝が来ると、二つの命が助かったと思った。

 長男が生まれたのは終戦の前日。疎開先の大分県別府市の実家だった。翌日の玉音放送は聞いていない。ただ、毎日のように上空を飛んでいた米軍機編隊がその日はなく、周囲の人に尋ね、終戦を知った。再会した夫(10年前に他界)とは、互いに手を握り、言葉にはならなかった。やがて次男を授かった。

浜田皓永(てるつね)さん(68)の証言

 テレビの戦争映画を見ている時、話を向けたりするが、母は多くを語らなかった。新聞で証言募集を知り、母から体験を聞き、私が代筆して手紙を送った。週2日デイケアに通い、まだ元気だが、耳は遠く、もう字を書くのはしんどそうだったからだ。亡き父も日記を付けていたが、戦争についての記述はなかった。

 でも父も母も妻にはいっぱい語っていた。本当につらいことは言えない。とりわけ血のつながった子どもには。こちらも照れがあり、きっかけがつかめない。そういうものかもしれない。

 特攻隊をテーマにした映画「永遠の0(ゼロ)」を夫婦で見て思った。少し運命が違えば、私は生まれてこなかったかもしれないし、この物語の中にいたかもしれないと。世代と時代の歯車が回ろうとする中、戦争体験を伝える力は、これから弱まっていくのかもしれない。だからこその親子合作の投稿でした。

 (福岡市中央区今川)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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