<大村大空襲>眼前で撃ち落とされ

中林菊代さん 拡大

中林菊代さん

中林 菊代さん(84)の証言 1944.10.25

 大村海軍航空廠(しょう)(長崎県大村市)で学徒動員中、昼間の空襲を受けた。最初はみんな防空壕に避難した。やがて火の玉が入ってきたので、大村湾の海岸へ走った。誰の指示もなかった。B29の機体がキラキラ輝いていた。向かっていく戦闘機が目の前で、ポロポロと撃ち落とされていった。
 工場での私たちの仕事は、戦闘機の翼の鋲(びょう)打ち。事前訓練もなく、これで本当に戦えるのだろうかと思った。女学生は九州各地、四国からも集められていた。私は佐賀県の女学生。毎日毎日、日の丸の鉢巻きを締め、3歩以上の移動は駆け足。防空頭巾を着けて寝ていた。生理が止まった人もいた。私もそうだった。

 工場が焼け、私たちははだしで歩き、川棚海軍工廠(長崎県川棚町)へ転属した。足のまめが裂けたが、痛いとか、きついとか、言えなかった。山に横穴を掘った地下工場で、多くの女学生は、さびた魚雷の表面を磨く仕事に従事したが、私は事務を任された。

 終戦の年の正月は、今の500円玉くらいのもち二つが入った雑煮を、みんなで泣きながら食べた。みんなで「悲しいね、泣きましょう」と言って。

 戦後、シベリア抑留から引き揚げてきた夫(3年前他界)と結婚。幸せだった。でも、夫は最期まで戦場のことを話さなかった。「それが、お父さんの答えだったのかもしれない」。息子と先日、そう話した。

 (福岡県小郡市)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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