<久留米大空襲>逃げ遅れた母と死別

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辻美彌子(みやこ)さん

辻 美彌子さん(78)の証言 1945.8.11

 食べ物がなくて、おかゆで朝食を取って間もなく、サイレンが鳴り響いた。町内会長の祖父が外で「早く逃げろ」と叫んでいる。祖母が4歳の妹を背負い、旧国民学校4年生の私は近所の女学生のお姉さんに手を引かれて走りだした。避難する人波の中で、すぐに家族はバラバラになった。

 上空に機影が何機も見え、夕立のような音を立てながら焼夷弾が降ってきた。1945年8月11日、福岡県久留米市の中心部は火に包まれた。筑後川に向かって逃げたが、狭い路地は人ばかりでなかなか身動きできない。よその家の中を走り抜け、ようやく河川敷に脱出した。

 夕闇迫るころ、祖父母や妹と再会できた。だが病弱で、自宅の2階にいた母の姿はない。押し黙ったまま4人で、線路伝いに同県筑後市の親戚宅まで歩いた。

 祖父はそれから数日、焼けた自宅跡に通い、頭蓋骨だけになった母を見つけて連れ帰った。「逃げるよ~」と声を掛けたとき、どうして母と一緒に行かなかったのか。私は後になって悔やんだ。

 風邪をひくと、食べ物がないのに、どこで見つけたのか肉を手に入れて食べさせてくれた母だった。手先が器用でセーターを編んでくれた。私は6年生のとき、夜の寝床で母を思い、涙ぐむ日々を詩にした。両親がいない私たち姉妹は祖父母に育てられ、私は進学を諦めて働いた。

 終戦まであと4日-。そう思うと悲しくて、悔しくてならない。幼くて母のことを覚えていない妹の川柳がある。

 叶(かな)うなら会ってみたいなお母さん

 その妹には、色白で裁縫が上手だった母の姿が生き写しだ。苦労した2人。私も川柳を作った。

 生きのびて母に見せたい姉妹

 (福岡県嘉麻市)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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