【米軍関係者の証言】兵士の罪の意識 消した口実

 全国の大都市と同様に、九州各地でも大きな被害が出た空襲。当時、通常爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下した米軍兵士たちは、火の海が広がる地上の光景をどう見ていたのか。九州への空襲はどんな戦略に基づき、戦禍は拡大したのか。研究者の分析や、米軍関係者の証言、九州各地に残る戦争遺跡を取材した。

 米軍は九州を含む全国各地で空襲を行った。米議会図書館が近年、聞き取りを行い公開している退役軍人の証言記録によると、複数の空軍兵士は、爆撃によって多くの市民の命を奪うことに罪の意識を持ちながらも、「民家も小さな軍需工場だった」などの認識を根拠に、「無差別爆撃」を正当化している。多くの家内工業が軍需工場を支えていた日本の実態を過大に評価していたといえる。

 1945年2月25日の東京への空襲などでB29に搭乗していた元軍曹のアンソニー・アダムス氏は、「東京市街地の炎上のさまを空から見下ろしていると、罪の意識が湧いてきた。彼らは敵だが、一般市民なのだから」と言及。「しかし東京を徹底的に空襲するのには理由があった」と指摘し、「当時の日本ではすべての家庭が、何か戦争遂行の努力をしなくてはならなかった。全所帯が小さな工場を持ち、銃や爆弾、戦闘機の部品を作って三菱などの大きな工場に運び込んでいたと思っていた」と述べている。

 射撃手として別のB29に搭乗していた元軍曹のウィリアム・カーター氏も「市民は部品を家に持ち込み、家族で組み立てていた」との認識を持っていたとして「民家も小さな軍需工場。恐ろしいことだが、私たちは空襲する必要があった」と語っている。

 当時の日本には軍需工場の下請け作業に従事する家内工業を営む人が少なくなかった。米側はそれを「無差別爆撃」の批判をかわす口実にしているが、兵士たちにも、それが誇張されて浸透していた実態を浮き彫りにしている。

 また証言記録からは、日本に飛来した空軍兵士が、高性能な零戦による迎撃を恐れていたことがうかがえる。カーター氏は「自分たちはトラに狙われたシカのような感じだった」と零戦への恐怖感を吐露。零戦を撃ち落とした様子を克明に語った後、「これを読んでいる人はひどいと思うだろうが、殺さなくては殺される状況だったことを、分かってほしい」としている。


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

PR

PR

注目のテーマ