児童ら127人犠牲の悲劇伝える 保戸島学徒慰霊碑

 大分県津久見市の豊後水道に浮かぶ周囲約4キロの保戸島。1945年7月25日、米軍機が木造2階建ての旧保戸島国民学校に爆弾3発を投下。3発目が授業中の1年生と5年生の教室を貫き、校舎を吹き飛ばした。機銃掃射も加わり、児童や教師ら127人が犠牲になった。この悲劇を慰霊する碑が、現在の保戸島小・中学校の敷地内に立つ。

 当時4年生だった元郵便局職員の島田繁夫さん(78)は、校舎1階の一番端の教室で国語の授業を受けていた。「ダーン」と耳をつんざく爆音がしたとたん、教室が暗くなった。同級生2人が教室から飛び出し、島田さんも後を追った。校舎脇を逃げる際、直撃の3発目で崩れた校舎の木材がのしかかり気絶した。

 先に逃げた2人が亡くなったのは後で知った。78年に卒業生が創立100周年に合わせ建立した慰霊碑を見ると、島田さんは、犠牲者127人全員の顔を思い出すという。

 「人が鬼になる戦争をしちゃあいけん。風化させてはならん」。毎年、児童は慰霊碑に千羽鶴をささげる。島田さんも友の冥福を祈り続ける。

 (大分県津久見市保戸島)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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