犠牲者100人超、94年の調査で明らかに 藤田町被爆戦没者之碑

 その石碑は、福岡県大牟田市の熊本県境に近い天満神社の境内に立つ。

 「藤田町被爆戦没者之碑」。1945年8月7日、大牟田市の化学工場を襲ったB24が、高射砲を受けて空中で爆発。搭載していた爆弾二十数発が藤田町に落ち、100人を超す市民が犠牲になった。事故は昼間に発生したため、犠牲者の大半は女性や子どもたち。リヤカーを引いていた三井工業学校の生徒2人と道路工事中の朝鮮人約20人も含まれている。

 被害の真相は長い間、分からず、「大牟田市史」には藤田町の死傷者は23人と記されていた。それが明らかになったのは94年。市民団体「大牟田の空襲を記録する会」の下川真剛さん(故人)が、近隣の寺院の資料や遺族の証言を基に犠牲者が100人を超すことを突き止めた。

 戦後50年の95年、同町の市民を中心にした募金でみかげ石の慰霊碑(高さ2メートル)を建立した。以来、毎年8月7日に地元住民の手で慰霊祭が開かれる。保存会の赤星正弘副会長(78)は「戦争の愚かさを若い人々に語り伝えていかねば」と話している。

 (福岡県大牟田市藤田町)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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