児童が手作業で掘削 防空壕跡の無窮洞

 長崎県佐世保市の南部、川棚町との境界近くに旧国民学校の児童が手作業で掘った防空壕(ごう)跡「無窮洞(むきゅうどう)」がある。太平洋戦争中、この上空にも軍港・佐世保市街へ向かう米軍機が頻繁に来た。1943年8月、旧宮村国民学校の校長の指示で防空壕の掘削が始まった。終戦の日まで2年間、機械も爆薬も使わず、高学年男児のつるはしが頼り。女児が壁の形をコテなどで整え、低学年は岩や石を外に運び出し、学校総出の作業だった。

 無窮洞顕彰保存会の茅原勇会長(80)も作業をした。「空襲が怖かったから必死だった。しんどいとは言えなかった」と振り返る。

 内部は子どもの手作業と思えないほど広い。石造りの教壇が残る「主洞」は幅5メートル、奥行き19メートルで、天井高は8メートル。ほかに学籍簿などを保管した書類室、天皇皇后両陛下の「ご真影」を掲げた棚、食料庫、かまど、便所まである。

 空襲警報が鳴ると、全校生約600人がすし詰めになって息を潜めた。戦後、放置されていたが2002年に佐世保市が整備。保存会の人が交代で見学者を案内している。

 (長崎県佐世保市城間町)


=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=

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