【証言】万歳の中 母だけは反対 飛行兵学校に入学した男性

三浦 智弘さん(84)の証言

 大分陸軍少年飛行兵学校にいた1年4カ月間、飛行機には一度も乗れなかった。機材がなく、故障機を直す部品やガソリンもなかった。1945年8月、「最後の特訓」として米軍上陸を阻止する訓練があった。穴の中で戦車を待ち伏せし、体当たりする自爆作戦だった。

 実は45年4月に福岡県の大刀洗飛行場に移る予定だったが、直前の大刀洗空襲で延期になった。大分の飛行場も空襲に遭った。空襲後、教官の一人が不発弾に触って目の前で爆死した。突貫工事の飛行場は地盤が緩く、多くの不発弾が刺さっていた。

 子どものころから飛行機に夢中で、地元のグライダー大会で優勝したこともある。念願の飛行兵学校入学が決まったとき、母だけが強く反対。見送りに来た百数十人の万歳が響く中、母は私に翻意を促し、汽車に乗り込もうとステップに足をかけた私の耳元でささやいた。「死んだらいかんばい」。当時14歳。行きたい気持ちの方が勝っていた。思い返すと涙が出る。

 「残念ながら帰って参りました」と帰郷した私とともに涙した母。息子の生還を喜んでくれたのだと冷静に思えるのには、戦後しばらく時間が必要だった。

(福岡県うきは市)


=2014/07/29付 西日本新聞朝刊=

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