【証言】「一足先に行ってくる」 特攻出撃直前に兄と面会

金子 寿美さん(82)の証言

 8歳上の兄・知雄は1945年4月2日、鹿児島県の知覧飛行場から飛び立った。22歳だった。直前に「面会に来てほしい」と連絡を受け、両親と3人で長崎県上志佐村(現松浦市)をたち、汽車に飛び乗った。兄は死を覚悟した表情。「米軍が九州に入ってくる。一足先に行ってくる」。最後だと直感した。

 同17日、村役場から戦死公報が来た。「松永知雄の霊」と書かれた紙袋に、沖縄の海岸で拾われた小石五つが入っていた。「息子さんの魂としてお受け取りください」と村長。父は「誉れと思っとります」と応じたが、母は台所で泣いていた。

 終戦から5年ほど後、兄の戦友が訪ねてきた。「特攻の生き残りと言えず、世間に顔向けできなかった。早く来られず申し訳ありません」と泣いた。航空兵を志願した兄の運命だったと、家族で折り合いをつけた。

 兄の話を息子にしても「断ればよかったのに」と理解してもらえない。戦後の日本は平和だった。そのために兄が犠牲になったと思ってもらえれば供養になる。押し付けはできないが。

 母は97歳で亡くなる直前、病床で「知雄が会いに来てくれた」と口にした。戦争に行かせたことをずっと後悔していたのだと思う。

(長崎県松浦市)


=2014/07/29付 西日本新聞朝刊=

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