【証言】恐怖心を表す抽象画 18歳で戦死、遺書破り捨てた兄

山下 昭さん(77)の証言

 父や母よも散りしとは思ふまじ みたまかへるかゆめの腕(かいな)に

 10歳上の兄・正辰が、母に宛てた最後のはがきには、こんな短歌が添えられていた。「まさか、あなたたちの息子がこの若さで亡くなるとは思いもしなかったでしょうね。夢でいいから魂は温かな母の腕に抱かれたい」。そんな兄の思いが伝わってくる。

 はがきが母に届いてから1カ月ほど後の1945年5月25日、兄は福岡県の大刀洗飛行場から、3トンの特殊爆弾・さくら弾を搭載した重爆撃機で出撃。隊員3人と共に18歳で戦死した。

 兄は旧制中学校を退学し42年4月、志願して茨城県の陸軍航空通信学校に入った。厳しい訓練を受けていたが、戦死する前年の7月、休暇をもらって愛媛県宇和島市に帰省したことがある。何ごともない様子で帰っていったが、出発時に何かをごみ箱に捨てたことに母が気づき、ばらばらに破られた紙片を拾ってつなぎ合わせた。軍の検閲を受けた遺書入りの封筒で「大いに家名を挙げる」などと勇ましい言葉が並んでいた。

 そんな兄のことについて、母は戦後ずっと私たちきょうだいに語らなかった。きっと心配させまいという親心からだろう。2001年5月、母が脳梗塞で倒れ、実家で荷物を整理していた私は、手紙やお守りなどが入った遺品箱を見つけた。兄のことを知りたくて兄の足跡を調べ始めた。

 「おもかげ」という表題の兄のノートがある。8ページにわたって不可解な抽象画が描かれていた。医師になっていた私は何も説明せずに同僚の臨床心理士に見せた。「追い詰められた恐怖や強迫感覚があるのでは。飛び散る物とその容器の存在を感じさせる模様もある」と指摘された。死を前にした本心が表現されていたのだろう。

 特攻隊専用旅館の元経営者の家族は、隊員の様子を証言している。物干し台で夜の星を見上げ涙する人、池のコイを一日眺めている人、出撃が近づき酒量が増えて荒れる人…。死を前にすれば精神的に不安定になり、行動も一様ではない。

 調べるうちに破られた遺書の存在を知った。なぜそうしたのか。検閲付きの手紙では本心は書けないし、家族に心配をかけたくなかったのかもしれない。兄は知り合いに頼んで検閲を通さずに最後のはがきを出し、出撃を感じた父は面会に行った。兄たちと交流していた当時の朝倉高女生が同席しており最近、様子が聞けた。兄は一人で一晩中話し続けたが、父が帰ると寂しい様子だったという。

 そんな兄の生きた軌跡を残すことが供養だと、写真集「ゆめの腕に」を出版した。米国でも読んでもらいたくて英訳を付けた。特攻で撃沈された船では多くの兵士が亡くなった。戦死には敵も味方もない。子を失った親の悲しみは、どちらも変わらない。

(浜松市東区)


=2014/07/29付 西日本新聞朝刊=

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