記憶遺産 鍵は「特攻」の時代背景

静岡大情報学部教授・モーデカイ・シェフタル氏に聞く

 特攻隊員の遺書などの世界記憶遺産登録を目指す鹿児島県南九州市のアドバイザーを務めた。私は、窮地に追い込まれる中で「特攻」というコンセプトと作戦が生まれた時代背景を盛り込むべきだと主張したが、申請には反映されなかった。遺書の歴史的な重要性について国際的な理解を得るには、感情論でなく、客観的事実からのアプローチでないと説得力がないと思っている。

 日本人の特攻に対する考え方は、戦後百八十度変わった。米国は特攻を称賛する日本人の精神を戦時中から把握し、占領開始後いち早く「特攻は国家が国民に強いた犯罪」との意識を日本人に植え付けようとした。この考え方が戦後しばらくは主流になった。

 1952年に日本が主権を回復した後、占領下で発言権が厳しく制限されていた元軍人などが、米国の植え付けた「特攻解釈」を覆すような言動をし始めた。それが知覧での特攻慰霊のための観音像の建立を可能にした。建てたのは、特攻を指示した旧日本軍の上層部たちであり、特攻平和会館ができるよりも前の55年のことであった。

 私には特攻は現在の日本で、歴史的事実というよりは神話のような存在に見える。平和主義者でリベラルであっても、特攻に関しては「純粋で勇ましい若者たちの行動」と美化する人が多い。これは映画や漫画の影響が大きいだろう。バブル後に自信を失い、中国が大国化した近年、国民は不安を抱えている。こんな時代には映画などを通して気持ちの良いナショナリズムを味わいたくなる。特攻批判のような論調は終戦直後よりも口にしにくくなっているのではないか。

 特攻は戦勝国の米国でも象徴的な意味がある。米国ではまるで教義的な歴史解釈として、「あんな戦法を取るほど理性を失った敵にはどんな手段も許された」と、原爆投下や都市空襲を正当化する理由とされている。数年前に元特攻隊員の人間性を描いた本を出したところ、米国では批判を受けた。特攻隊員を含め当時の「恐ろしい敵」も人間だった、というイメージは米国に都合が悪い面もあるからだ。歴史家として私は多様な意見を平等に扱い、都合の良い悪いも関係なく事実を調べる責任がある。

モーデカイ・シェフタル氏
 1962年生まれ。米ニューヨーク市出身。87年に来日し、早稲田大大学院で博士号取得。国際文化学などが専門。2001年の米中枢同時テロを機に旧日本軍の特攻に関する研究を開始。特攻をテーマにした英文での著書多数。

=2014/07/29付 西日本新聞朝刊=

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