終戦8・15の記憶 「切腹する」父錯乱

 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」-。昭和天皇は1945年8月15日正午、ラジオを通じて日本の敗戦を国民に告げた。満州事変から日中戦争、太平洋戦争と拡大した戦局は14年におよび、空前絶後の310万人が犠牲となった。不戦を誓った戦後日本の原点「8・15」。九州ゆかりの戦争体験者は、歴史的な一日をどう過ごしたのか。証言を基に再現する。 

 「ラジオの音がガーガーと割れ、よく聞こえなかった」「何を言っているか、分からなかった」。玉音放送に耳を傾けた人たちの多くは、こう証言する。

 佐賀県鳥栖市の石田トシ子さん(90)は、福岡県田主丸町(久留米市)の実家で玉音放送を聞いた。ラジオの音が聞き取れず、直後は「ますます頑張れ、ということだと思っていた」という。

 教師として教壇に立っていた石田さん。子どもたちと同じように勝利を信じ、銃後の守りを果たしてきたつもりだった。敗戦と聞かされ、良心の呵責(かしゃく)に苦しんだ。「子どもたちに間違ったことを教えてきたのではないか」と。

 福岡市の実家で放送を聞いた佐藤光子さん(94)=福岡県筑紫野市=は、父が漏らした「日本が負けた」との言葉で敗戦を悟った。父が「切腹する」と言い出し、家族みんなで止めるのが大変だった。

 佐藤さんは当時、実家近くの西部軍管区司令部の軍医部事務員。司令部に駆け付けると、上司は「アメリカが来るから、重要書類を燃やそう」と言った。指示に従い、裏手の山で焼いた。


=2014/08/15付 西日本新聞朝刊=

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