【終戦8・15の証言】喜び悲しみも感じず

林 英雄さん(91)=福岡県朝倉市

 「9月に米軍が九州に上陸する」-。1945年7月、鹿児島県・霧島。将校だけが集められ、そんな情報が伝えられた。私は見習い士官だった。伝えられた米軍の陣容は、宮崎県北部から鹿児島県南岸まで計16個師団。1個師団は約1万人という。

 当時、われわれ日本軍の戦車砲と機関銃の弾は尽きかけていた。「持ち場を死守せよ」との命令は「ここで死ね」という意味だと理解した。米軍を迎え撃つため、霧島を出発したが、8月15日、全兵士500人に中隊長から敗戦の事実が告げられた。「機密書類はすべて焼却しろ」と命じられたのを覚えている。

 「今年中の命と思え」と言われていた。命を惜しいとは思っていなかった。むしろ、死ぬのが当たり前だと思っていた。終戦は悲しみも喜びも感じず、淡々と受け入れた。


=2014/08/15付 西日本新聞朝刊=

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