【太平洋戦線】遺骨の嘆き知って 識者に聞く

 戦場での日本人を連合軍はどんな視点で見ていたのか。戦後70年を前にした今も、戦没者の遺骨が海外に多く残されている問題を、私たちはどう捉えればいいのか。兵士や遺族、また戦場となったアジアの人々は、あの戦争にどんな思いを抱いているのか。識者や関係者に聞いた。

帝京大講師 浜井和史氏に聞く

 日本本土以外(沖縄を含む)の戦没者約240万人のうち、遺骨が帰還したのは約127万柱。それは全体の半分ほどに過ぎない。召集令状1枚で過酷な戦場に駆り出された兵士たちは、遠く離れた異国の地で理不尽な死を遂げた。家族には戦死公報が届くだけ。戦争末期には、愛する家族が海外で戦死しても、亡くなった状況は分からず、白木の箱に石ころしか入っていないことも少なくなかった。帰国できない遺骨には、戦後それほど関心が寄せられなかったが、遺骨問題は平和を考える上で、大きなきっかけを与えてくれる。

 戦没者の遺骨は全て母国に送還するのが日本軍の従来の方針だった。だが、ガダルカナル島撤退、アッツ島全滅があった1943年以降、遺骨が帰還しないのが常態化した。軍当局も遺骨が戻らないことに関し、新聞で国民に覚悟を促した。「どうして」と悲嘆に暮れようとしても、家族は政府や軍に思考停止を強いられる。そんな時代だった。

 敗戦で軍が解体されると、遺骨帰還を誰が担うかという新たな問題が生じた。さらに、グアムをはじめ遺骨が眠る太平洋の島々には米国が軍事施設を建て、軍事的、政治的に立ち入りを制限。アジア諸国でも戦争を行った日本への感情的な問題から遺骨収集は難しい。このため可能な範囲で発掘した遺骨を戦没者の代表とし、「象徴遺骨」として日本に送還する方法が考案された。その帰還で50年代、遺骨収集は一応終了したとされた。

 だが海外への渡航が自由化された60年代、遺族や戦友が現地を慰霊して野ざらしになった遺骨の状況に驚き、国に遺骨収集の再開を求めた。数次にわたる収集計画が終わっても遺骨は残されており、国が終了方針を示すと、遺族たちが継続を求めるのが繰り返されてきた。

 戦没者の慰霊問題ついて語ると、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)問題などへ論議の流れが向き、イデオロギー論になりがちだ。だが本来、遺骨問題はそれとは別に考える必要がある。戦後、政府が海外に残された遺骨をどう扱ってきたのかという歴史的な経緯は、ほとんど論議されてこなかった。

 戦場で倒れた兵士たちは、戦後長い間忘れ去られていた。生きて復員した人とは違い、彼らは何も語れない。母国に帰ることもかなわず忘れ去られ、異国で朽ち果てている。そうした状況をもう一度想起するのが重要だ。日本人には遺骨崇拝の伝統があるということで片付けるのでなく、戦後の取り組みや経緯、人々の思いや暮らし、問題への関与をきちんと整理した上で、なぜ遺骨収集が求められ、続けられているのかを考えるべきだ。戦後はまだ終わっていない。 (談)

浜井和史(はまい・かずふみ)
 1975年、北海道生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。外務省外交史料館を経て帝京大学専任講師。日本近現代史、日本外交史など専攻。著書に「海外戦没者の戦後史-遺骨帰還と慰霊」(吉川弘文館)、「大日本帝国の崩壊と引揚・復員」(共著、慶応義塾大学出版会)など。

=2014/09/23付 西日本新聞朝刊=

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