【太平洋戦線】戦友会 遺族が継ぐ時代 関係者に聞く

 戦場での日本人を連合軍はどんな視点で見ていたのか。戦後70年を前にした今も、戦没者の遺骨が海外に多く残されている問題を、私たちはどう捉えればいいのか。兵士や遺族、また戦場となったアジアの人々は、あの戦争にどんな思いを抱いているのか。識者や関係者に聞いた。

全ビルマ会会長 上原喜光氏に聞く

 戦友会は元兵士が55歳で勤務先の定年を迎えた昭和40年代から増え、多いときには全国に数千もあった。連隊や部隊ごとに細分化し、10人ほどの会もあった。理由の一つは、戦中の軍の上下関係が残っていたことが挙げられる。時とともに壁はなくなったが、そのころには高齢化し戦友会自体に来られなくなっていた。
 その戦友会では、戦場の苦悩や死を目の当たりにした経験が語られることはほとんどなかった。思い出したくもなかったのだろう。大まかなことは話しても、具体的な戦闘に話が及びそうになると黙り込むのがほとんどだった。むしろ、お互いに探りを入れるような光景もあった。家族にも固く口をつぐんでいたので子や孫は何も知らない。

 その一方で、子や孫の世代が遺品を整理していて、亡くなった父や祖父の戦争経験を知りたがる傾向が出てきている。また、海外に住む日本の若い人からの問い合わせが増えている。国外に出て国際社会に触れることで、外からの視線で日本や歴史に関心を持つようになっているのだろう。

 元兵士が慰霊活動の中心になるのは、戦後70年となる来年が最後だろう。これからは、私のような遺族が運営していかなければならない。戦没者の遺族だけでなく、復員した元兵士の遺族も入会させ、ミャンマーに暮らす日本人など活動に関心を寄せてくれる仲間も募りたい。かつて戦争があったことを知ることで、現地への理解も進むだろう。

 全ビルマ会が行っている慰霊祭やミャンマーへの慰霊巡拝は、私一人になっても続けるつもりだ。戦争の勝敗は別にして、命を犠牲にして今の平和の礎になった方々を慰霊したい。若者にも過去に何があったのか伝え、アジアの平和を実現したい。 (談)

全ビルマ会
 ミャンマー(旧ビルマ)戦線の元兵士や従軍看護婦、遺族などで構成し登録数600人。同戦線の戦友会を取りまとめる窓口として、1973年に発足した全ビルマ戦友団体連絡協議会が前身。戦友会の解散・退会が相次ぎ2004年に再編。戦没者慰霊やミャンマー留学生などとの交流を行っている。

=2014/09/23付 西日本新聞朝刊=

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