【開戦の日から】興奮の後 異様な緊張感に

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井上 富二さん

米英との開戦を報じる福岡日日新聞(現西日本新聞)の張り出しに見入る人たち=1941年12月8日、福岡市天神

 1941年12月8日午前1時半、日本軍は英領マレー半島のコタバルに上陸し、シンガポールを目指して進軍を始めた。約2時間後、日本軍の航空母艦を離陸した多数の艦載機が米国・ハワイの真珠湾を急襲し、太平洋戦争が始まった。緒戦の勝利に国内は沸き上がったが、その後の暮らしは戦争一色に染められ、戦いは3年8カ月に及んだ。戦争に翻弄(ほんろう)され、敗戦後を生き抜いた人々に開戦の日以降の証言を聞いた。

井上 富二さん(87)の証言
 あの日は天気が良くて、えらい寒い日でした。朝ごはんを食べている時にラジオからニュース速報が流れてきた。朝早い時間やったはず。ラジオがある家なんて村に数軒しかなかったですよ。うちは父が早くに亡くなり、産婆(助産師)をしていた母が家を空けることが多かったので、私と妹が寂しくないようにと無理してラジオを買ってくれたんです。

 〈「帝国陸海軍は、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」…〉

 名前は忘れたけど、日本放送協会の有名なアナウンサーの声やった。それは驚いた。米国は大きな国やし、英国もインドやマレーシアなどアジアをどんどん植民地にしている国。祖母に戦争するみたいやと声を掛けたら、「えらいことになったねえ」と話していた。

 〈旧制中学の2年生。14歳だった。自転車で学校に行くと全校集会が開かれ、米国や英国などを相手に開戦したことが告げられた〉

 今日からおまえたちは一層お国のために頑張らんといかんぞ、といった内容やった。当時は軍国少年ですから、何とも言えない勇ましい気持ちになったもんですよ。これは相当な覚悟がいるぞという気持ちが半分、うれしさが半分。いよいよ日本も米国と戦争をするくらい大きな国になったんだなあと。それまでも中国との戦争は続いていたけど、弱い相手との勝ち戦だとなめとった。

 〈当時の日記によると、12月5日から9日は期末テストが予定通り実施された。18日には、毎日靴にゲートルを巻くよう学校で指示された〉

 8日からころっと空気が変わったと思う。異様な緊張感が出始めた。

 〈学校の教員も次々と徴兵されていき、生徒は予科練への応募を勧められるようになる〉

 (戦争に)行かんと男らしくないと思って願書を持って家に帰ったら、母親に止められたんですよ。「あんた一人が行っても、日本の勝ち負けにはそげん変わりはない。でも家はどげんなんの。どうせ少し待てば徴兵検査がある」って。

 〈1945年、18歳からに繰り上げられた徴兵検査に合格するとすぐ召集されたが、戦地には行かずに終戦を迎えた〉

 天佑を保有し万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は…。宣戦の詔書は今でもそらで言えますよ。たった4年足らずだったけど、激動の時代を生きたんだなあと思い出します。

(福岡県久留米市)

=2014/12/08付 西日本新聞朝刊=

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