開戦の日 決死の上陸 正しい戦争 信じてた

太平洋戦争が始まったころのことを振り返る古澤健児さん(撮影・伊東昌一郎) 拡大

太平洋戦争が始まったころのことを振り返る古澤健児さん(撮影・伊東昌一郎)

「真珠湾」直前の作戦参加 古澤健児さん(94)
 1941年12月8日午前1時半。太平洋戦争は真珠湾攻撃より約2時間早く、マレーシア北東部のコタバルという港町への上陸作戦から始まった。

 「あの戦争に負くることは想像もつかんかったし、これは正しい戦争だと信じて疑わんかった。思えば、あれが間違いの始まりじゃった」。福岡県八女市の古澤健児さん(94)は約5500人の上陸部隊に加わったあの夜のことを今も鮮明に覚えている。

 午前0時を回っていた。季節風で荒れ狂う海。甲板から15メートル下の海面を見下ろすと暗闇がぽっかり口を開けていた。「ビルの屋上から縄ばしごを伝って降りる感じ。もう揺れて揺れて」。バランスを崩して海に落ち、命を落とす者もいた。

 小舟に移り陸を目指すと、連合軍である英国・インド軍の野営の明かりが見えた。隙を突いて上陸した直後、一斉射撃の弾が次々と耳元をかすめ、地面に頭を擦り付け攻撃をしのいだ。「入り江の堀の中に10時間ほどおったかな。体中ヒルに吸われて血だらけじゃった」

 仲間の部隊に犠牲も出たが、戦闘は長く続かなかった。その日のうちに敵は敗走。日本軍は飛行場を制圧し上陸作戦は成功に終わった。マレー半島各地で勝利を収めた日本軍は翌年2月15日には連合軍の要衝、シンガポールを攻め落とした。日本では真珠湾攻撃とともに東南アジア各地の戦果が華々しく伝えられ、戦勝ムードに沸いていた。

 あの時、「この戦争は間違っていない」と確信した。任務遂行の達成感や高揚感が部隊を包んでいた。そろそろ里へ帰れるとも思った。しかし終戦までの3年半、その願いは一度もかなわなかった。

 開戦当初の快進撃も長くは続かず、敗戦の道を転がり落ちるまで時間はかからなかった。古澤さんもマレー半島からビルマ(現ミャンマー)行きを命じられた後、ジャングルでの戦いで死線をさまようことになる。戦場で仲間と話すのは故郷の話ばかり。現地で茶畑を見つけると「戦争が終わったらここにお茶の工場を造ろうかなんて夢物語を話した」。壕(ごう)の中で盲腸を手術した時は、麻酔なしで両手両足を押さえ付けられ、腹の上に腸が引き出された。目を閉じると母の顔が浮かんだ。

 仲間ともはぐれ、逃げ惑う中、敵がまいたビラで終戦を知った。帰国すると、母は亡くなっていた。戦地では母の死すら知るすべはなかった。

 今なら、なぜあんな無謀な戦いに突き進んだのかと声に出して言える。しかし、当時は戦争に命を懸けるのが当たり前だったし、疑問を挟むことも許されなかった。

 「日本がどこで引き返せなくなったのか。それは今も分からない。戦いが始まった時は、まさかあんなに大きな、長い戦いになるとは思わなかったですから」

 (丹村智子)

コタバル上陸作戦
 連合軍の要衝だったシンガポールを制圧するため、日本軍は太平洋戦争開戦日の1941年12月8日未明、独立国だったタイ国境に近い英領マレー半島のコタバルに上陸。日本軍は各地の連合軍と戦いながらマレー半島を南下し、翌年2月15日にシンガポールを陥落させた。東南アジアに広がる石油などの資源確保などを目的に展開された南方作戦の一環。

=2014/12/08付 西日本新聞朝刊=

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