精神面への影響検証を

 戦争の進行の中で、障害者はどう人権の侵害を受け、どんな行動を強いられたのか。また戦後も、戦争による傷でどう苦しみ続けたのか。そして、私たちは障害を通して戦争をどう捉え、行動すればいいのか。精神障害者をガス室で殺りくし、ユダヤ人虐殺に至ったドイツの歴史から考えるとともに、日本の専門家2人の分析を紹介する。

メンタルクリニックなごみ院長 蟻塚 亮二氏
 過去の記憶は、通常「冷えた記憶」だが、現在進行形の熱い記憶もある。沖縄の戦争体験者には、そんなトラウマ(心的外傷)記憶が消えずに残っている。

 ある高齢女性が突然、不眠とうつ病状態になり、足に力が入らず車いす生活になった。夜には、戦場を逃げた際の死体のにおいがするようになった。沖縄戦のトラウマが六十数年も潜伏していて、息子の死によって出現したのだ。

 彼女のように戦後、社会に順応して暮らしてきたのに退職で仕事を譲るとか、身内の死に直面することにより心的外傷後ストレス障害(PTSD)症状が出ることがある。私はそれを晩発性PTSDと名付けている。近親者の死などによって寝た子を起こされるのである。

 違うパターンのPTSDもある。沖縄戦の語り部の人が、話す前夜に不安になり、終わると疲れ切ってしまう。そんな人は米軍機の爆音で戦慄(せんりつ)し、電気掃除機の音で不安になる。花火を見られない人もいる。心の傷を覆いかけたかさぶたが引きはがされ、いつになっても過去形にならないのだ。

 私の母は福井空襲の中、幼い兄を背負って逃げた。戦後ずっと神経質だった。2011年の東日本大震災の津波で多くの人が死んだのを知ると、ものを食べられなくなり衰弱して亡くなった。津波でトラウマがよみがえったのだ。兵士も変わらない。米国ではベトナム帰還兵が不眠、フラッシュバック、うつ病などの症状を呈して政府に働き掛けた。それでできたのが現在のPTSDの診断基準だ。

 福島でも一定期間を経て症状が出る人がいる。ある男性教諭は、避難所の学校で被災者をお世話し、遺体を扱った。1年ごとに転勤するという例外的で過酷な勤務を経て、震災から3年半後、突然、仕事に行けなくなった。こうしたケースはベトナム帰還兵を想定した米国の診断に当てはまらないので、PTSDの診断基準について、日本は現状に即した見直しが必要だ。

 私たちは戦争の精神面への影響について戦後、果たして検証しただろうか。トラウマ研究の第一人者、米国の医学博士バン・デア・コルク氏は「日本には戦争がもたらした結果への社会的議論が欠如しており、戦争の傷痕を意識の底に沈めて経済発展に全力を尽くしたのでは」と指摘する。

 戦争は民衆、兵士の心に大きく影響する。イラク派遣の自衛隊員千人のうち28人が自殺した。一般的な自殺者が人口10万人当たり25人なのに比べ非常に高い。PTSD発生率も5~10%という米国のデータがある。自衛隊の海外派遣に伴う自殺、PTSDには相当の医療、リハビリ、賠償の費用負担が必要となる。戦争に関わるとは、そういうことだと認識すべきだ。

蟻塚 亮二(ありつか・りょうじ)
 1947年、福井県生まれ。弘前大医学部卒。精神科医。青森県弘前市の藤代健生病院院長を経て2004年から沖縄県の病院に勤務。13年から福島県相馬市で現職。欧州ストレストラウマ解離学会員。著書に「沖縄戦と心の傷―トラウマ診療の現場から」(大月書店)、「統合失調症とのつきあい方」(同)など。

=2015/05/31付 西日本新聞朝刊=

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