安田純平さんの記者会見詳報

 安田純平さんが2日に開いた記者会見の詳報は次の通り。

 【説明責任】

 私自身の行動で日本政府が当事者となり、大変申し訳ないと思っている。解放に向け尽力していただいた方々におわびするとともに感謝申し上げる。何が起こったのか、可能な限り説明するのが私の責任と思っている。

 【取材目的】

 「イスラム国」(IS)の資料に戦闘員のリストであるとか、それぞれの家族構成で給料が違うとか、それぞれの月の予算表とかが見て取れた。単なるならず者というより、きっちりとした国家のような組織を構成している一端が見え、さらに取材したいと思った。また、イスラムに基づく地域社会が外部の人間から見て理解し得るものかどうかを探りたいというのが(取材の)目的だった。表に見えている世界とは違う世界がある。そういったものも追ってみたい、と思っていた。

 【シリア入国】

 2015年6月22日にガイドから連絡が入り、シリア国境に近いトルコの町に向かった。ガイドは「自分は仕事があるので現地で兄がおまえを受け入れる」と言っていた。シリアに入ったらガイドのいとこが車で迎えに来ているので、その車で彼らの実家に移動して(ガイドの兄に)合流するとの説明を受けた。

 トルコ側でガイドが別のシリア人から「まず迎えが来るのをおまえが見に行って、それから」と言われ、そのガイドがシリア側に様子を見に行っているうちに、別の方向から来た2人組が「では、シリアに行こうか」と話をしてきた。

 聞いている話と全然違うと思ったが、そういうものなんだろうと思いシリア側に入った。自分でもちょっとおかしいと思いながら歩き続けてしまった。自分でも(案内に従って付いていった理由は)分からない。

 1時間ほど歩き、シリアとトルコの国境だというところを越えて(シリアに)入っていったが、そこで2人組の仲間に両腕をつかまれた。車に乗せられ、しばらく走ったところのパン工場に入れられ、近くの民家や集合住宅と思われる地下などで監禁された。

 【処遇】

 当初、彼らもどういう扱いをするか決めていなかった様子だった。完全監禁状態だが、ゲストだと言われた。ある監禁場所となった民家の部屋にはテレビがあり、衛星番組を見ることができた。

 7月下旬に「日本政府に金を要求する」と言われ、この時点で正式に人質と告げられた。8月上旬に日本に送るからと個人情報を書かされた。家族の名前や家族へのメッセージを書いて渡した。

 彼らは米国にある日本の領事館にメールを送ったと言っていた。シリアではなく、別の国にいる協力者がその作業をやっていると話していた。「日本政府が金を払う用意はあると言っている」という言い方もされた。

 彼らは外国の組織や政府からの支援は基本的に受けていない。それをやると、言うことを聞かないといけなくなるので支援を受けないようにしているということだった。

 食事の内容は彼らと基本的に同じ内容のものを持ってきた。量的に特に少ないこともなく、彼らは日によってはシリアのスイーツを持ってきたり、鶏肉料理を持ってきたりした。トルコの料理をトルコの新聞に包んで持ってきたこともある。こうしたことを踏まえて、(監禁場所は)トルコとの国境からかなり近い場所なのだろうと考えていた。

 【嫌がらせ】

 12月末に日本側が連絡を絶ったと言われた。彼らの機嫌が悪くなり、トイレの行き帰りに尻を蹴られるなどした。最初に全ての荷物を奪われたがノートは渡され、日記を書いてよいと言われた。書き終わった時には、別のノートとペンを持ってきた。紳士的な組織だと伝えてもらいたいとのアピール目的だったのだろう。最後まで組織名は基本的に言われていない。

 16年5月に公開された写真では「助けてください」と書いた紙を持っていたが、これは彼らの指示で、日本語で書けと言われたためだ。

 7月10日に非常に大きな施設に運ばれた。独房は幅1・5メートルくらいで、居住する場所が2メートルくらいだった。扇風機もあった。次に移された別の監禁場所では、幅1メートルくらい、長さ2メートルくらいの部屋に入れられた。両側に彼らがいて、私の部屋から出る物音を聞いていて、音を立てると電気を消したり、電気を点滅させたり、扇風機を消したりされた。食事に鶏肉を持ってくるけれども大量の骨だけ入っているとか、そういう嫌がらせをするようになった。

 幅が1メートルくらいしかないので、寝返りを打とうとするとすぐ近くに壁があるので、どうしても体を持ち上げて体をずらさなければいけない。そうするとまた音がするので、身動きが全然できない状態のまま音を立てないように気をつけていた。

 【抵抗】

 どう考えても不可能と思い、ハンストを始めた。食事を食べるとエネルギーになる。食べた後に全く身動きしないときついので「もう食わない」と。食わなければ、そのうち動かなくなる。「おまえらが求めているように、一切動かないことができれば、日本に帰せ」と言って、食事を受け取らないということを始めた。

 20日間の絶食状態で、立っているだけでも胃が圧迫されて吐き気がするようになった。かなり体力的に厳しい状態となった。20日がたった18年3月29日に彼らの代表者の部屋に移されて「もう帰すから食え」と。2日後にまた別の施設に移され、だいたい20日くらいのうちには帰国させると言われた。そこではっきりと解放する、と言われたが、その2日後にはまた別の施設に移された。

 【兵士への拷問】

 私は彼らから「ニダール」と呼ばれていた。ニダールというのは、イスラムというかアラブの中である名前だ。なぜか彼らは私にそういった名前をつけて呼んでいた。

 アサド政権の兵士も捕まっていたようで彼らが「兵士だ」と呼んでいるのが聞こえた。この兵士はたびたび拷問を受けていた。何か棒のようなもので殴られているような音がたびたび聞こえた。

 それから大麻の売人も捕まっていたようだ。彼ら自身が治安維持をしていて、売人のような人々を捕まえては何カ月か監禁するようなことをやっているのだろう、と周りの状況からうかがえた。

 【偽名】

 ことし3月にロの字形の平屋の施設に移された。6月半ばに「私の名前はウマルです」と名乗る動画を撮影したが、ウマルというのは私が改宗した時に付けられたイスラム名だ。本名を名乗っては駄目なんだと解釈したのでウマルと名乗った。これは公開する映像ではなく、彼らなりの遊びというかゲームだと解釈していた。泣いているバージョンと泣いていないバージョンが撮られた。

 【解放】

 10月15日には俺は弱い人間なんだ、いいかげん許してくれと泣きついた。拘束されてから40カ月となる10月22日には「絶対にこれ以上やらないでくれ、これ以上やるくらいなら殺してくれ」などと主張した。身動きできず、トイレも行けない、水も飲めないとかなり異常な生活だった。「こんなものを続けるのはやめろ。おまえらはジハード(聖戦)のためにやっているのではないか。どう考えてもこれは聖戦じゃないだろう。あなたたちは立派なイスラム教徒であると私は信じる」とかなり強く訴えた。これは正解だったと思っている。

 その日の午後、「今から帰す」という連絡があった。翌23日朝に「トルコに行く」と言われて車に乗せられて移動し、また別の車に乗せられた。その車の中で英語で「安全な状況だ」と言われ、トルコの入管施設に入れられ、これで解放されたと言われた。

 私の解釈ではトルコの情報機関がシリア側まで入り込んで私の身柄を引き渡されたのではないか。

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