博多ロック編<178>1982年3月31日 観客が波のように押し寄せた

店内を埋めたファン。パイプで酸素を送り込んだが、それでもばたばたと倒れた 拡大

店内を埋めたファン。パイプで酸素を送り込んだが、それでもばたばたと倒れた

超ミニで歌う糸岐 入場券代わりの缶バッジ ファンの長い列

 この日、ロックバンド「マーキーズ」のボーカル、23歳のいときゆき(糸岐由紀子)のステージ衣装は真っ白なスーツで、おかっぱ頭にはグリーンのハットをのせた。

 いつものステージは動き、歌いやすい袖なしのタイトな超ミニのワンピースだった。

 「新バンドのデビュー戦。ばっちりと決めたかった」

 迷った末に映画「明日に向って撃て!」の中のキャサリン・ロスの衣装をヒントにした。

 「スーツだと自由に腕を動かせなかった。ステージに上がってわかった」

 糸岐は福岡市西新の薬局「糸岐松寿堂」の娘だった。高校のとき近くのライブハウス「ジャジャ」でロックバンド「モッズ」のステージを見た。「かっこいいな」。短大に進むと仲間を集め、女性バンド「飢餓」を結成した。

 同市天神のライブハウス「照和」のオーディションを受けた。審査係の「妙安寺ファミリーバンド」の門田一郎は言った。

 「よし、OK。がんばれよ」

 1970年にオープンした「照和」は78年に第1期を終えた。糸岐が出演したころはチューリップ、海援隊、甲斐バンド、長渕剛たちが次々とプロデビューした後だった。フォークからロックに軸足を移していた。日曜日は「ロックの日」。「マーキーズ」-「ロッカーズ」-「モッズ」の順でステージに上がった。

 打ち上げの焼き鳥屋で「ロッカーズ」の陣内孝則と「モッズ」の森山達也たちが口をそろえた。

 「イトキ、バンド名『飢餓』はダサいやろ」

 陣内、森山が決めたのは「ティニーボッパー」(ロックに凝る少女)。このバンド名で糸岐は70年代の伝説になる「照和」の最後を見届ける。糸岐が終(しゅう)焉(えん)に立ち会ったライブハウスは「照和」だけではなかった。

   ×    ×

 「マーキーズ」の曲「フォティフォー(44)」の前奏が店内に流れた。ただ、ボーカルの糸岐がステージにいなかった。糸岐は会場の後ろから登場する演出だった。一抹の不安は感じていた。開演前にはロックファンが長蛇の列をなし、警察も出て異様な殺気、熱気に包まれていた。開演後も入りきれないファンが会場を取り巻いた。

 店内は500人近いファンで埋まった。隙間がない。糸岐は大声を上げた。「前を開けろ」。無理だった。バンドは何度も「44」のイントロだけを繰り返す。ハットはずれ、スーツはもみくちゃ。時折、入場券代わりの客の「缶バッジ」が服に引っ掛かった。ようやくステージでマイクを握った。歌い始めた。

 〈うるさい奴らさ 右も左も朝っぱらから目を光らせてる…〉

 他の出演バンドは「モッズ」「ヒップス」「フルノイズ」。

 聴衆は波のようにステージに押し寄せた。店側は酸欠防止のために、外から
モーターを回し、パイプで酸素を送り込んだ。それでもばたばたと倒れた。

 この日-1982年3月31日。同市中央区の親不孝通り(現・親富孝通り)にあった伝説のライブハウスのさよならライブだった。

 ライブハウスの名前は80年代を切り開く-「80’sファクトリー」。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/10/15付 西日本新聞夕刊=

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