苦労の果てに幸せつかんだ「マダム大丸」 “戦線”拡大で変わった天神 福岡流通戦争モノ語り(4)

 戦前から福岡市・天神のにぎわいを支えてきた岩田屋を後に危機に追い込むことになる1990年代後半の「第3次天神流通戦争」。岩田屋Zサイドの半年後、97年3月に開業したのが博多大丸東側の再開発ビル、エルガーラだ。

 28メートルの高さに架かる透明の屋根の下で、その両側にしゃれたカフェや店舗が並ぶ――。そんな空間は福岡の人々にとって、初めての体験だった。大丸は、そのエルガーラに核テナントとして入居、大丸東館を開業した。

 (ギンギラ太陽’s・大塚ムネトさん)ギンギラの作品はデパートや乗り物を擬人化します。デパートであれば、その店のターゲット層や、現在の状況、創業からの歴史などを取材して、「年齢設定」「性別、衣装」を決めます。大丸は、おしゃれなドレス姿の「マダム大丸」という女性キャラクターです。

 (大塚)1975年に天神にやってきた大丸は、西日本新聞と一緒になり、市役所と手をつなぎ、そして「エルガーラ」という素敵な「娘ビル」が生まれました。さらに下には地下鉄七隈線の駅があり、目の前には西鉄福岡(天神)駅の中央口…。「頼りになるパートナー」「娘ビルと広場」「天神の中心という立地」と、まさに幸せのど真ん中にいるマダム大丸。もしかすると、この幸せな現在の姿が当たり前と思っている方が多いかもしれません。いやいや、赤字と苦難を乗り越えて、やっとつかんだ「女ビルの幸せ」だったんです。

 天神にあるのに「博多大丸」。岩田屋と同様に大丸も、もともとは博多にあった。現在の福岡市営地下鉄呉服町駅がある場所だ。

 (大塚)1953年、この場所にあった東邦生命ビルに大丸が出店しました。上には帝国ホテル。そして目の前に路面電車の停留所があり、なにより博多駅がすぐ近くにありました。ブランドイメージも利便性もバッチリの、恵まれた環境だったのです。

 その幸せは、長くは続かなかった。

 (大塚)10年後の63年、博多駅が南に300メートルの今の場所に移転します。そして64年に大光百貨店(ユニードを作った渕上が母体)がターミナルデパートとなり、その後66年からは、井筒屋が入居しました。大丸から博多駅が離れた上に、別のデパートが誕生したのです。大丸の苦難は続きます。69年には帝国ホテルが撤退。路面電車も廃止が決まります。こうして大丸の盤石だったはずの幸せは崩れました。

 (大塚)大丸の歴史を知ると、「駅が動いて苦労した」のは岩田屋だけではなかったんだなあと感慨深くなります。ギンギラの舞台では、マダム大丸のこんなセリフがあります。「岩田屋さんは(改札口が)80メートル動いて大騒ぎしているけれど、私なんか駅が300メートルも動いたのよ!もう決死の覚悟で、天神に移転したんだから!」

 移転先は今でこそ福岡(天神)駅の正面で、「天神の中心」とでも言えそうなロケーションだが、当時はそうでもなかった。

 (大塚)「女ビルの幸せ」を求めて、天神の国体道路沿いに移転した大丸。しかし当時の国体道路は天神のはしっこで、岩田屋(現在のパルコ)が天神の中心。天神のはしっこで苦戦していた大丸には、その後完成する天神地下街もつながりませんでした。地下2階までを売り場にして地下街につなぐ準備をしていた大丸は愕然とします。

 (大塚)ギンギラの舞台では、つながらないことを知ったマダム大丸がショックで倒れますが、すぐに立ち上がり「こうなったら、あたしから掘って地下街につなぐわ!あたしだって天神の仲間なんだから!さあ掘るわよ〜」と決意表明をして、自分からトンネルを掘り始めます。こうして、大丸と西日本新聞会館が5億円ずつ負担をして連絡通路が完成。「天神の仲間」としての意地を見せたのでした。

 エルガーラ開業後の大丸の大きな苦難は、その天神地下街の延伸工事だった。それまで、大丸は地下街の南端から細い通路で店舗に客を誘導。「来店客の2割を占める大動脈」と言われていた。地下街延伸工事のため、2002年4月に閉鎖。05年2月までの2年間、仮設エスカレーターでしのぎつつ、従業員の賞与カットに踏み切るなど、我慢を強いられた。

 (大塚)それが今では、目の前が駅の中央口。苦労した連絡通路も、にぎやかな地下街に生まれ変わりました。もうはしっこなんて言わせません。娘ビルも誕生し、マダム大丸は、ついに「女ビルの幸せ」をつかんだんです。

 三つの百貨店が覇を争った「第3次天神流通戦争」だが、岩田屋がZサイドを開館する半年前の1996年4月、そのすぐ東に、これまでと全く異なるスタイルの商業施設が現れた。キャナルシティ博多(福岡市博多区)だ。1996年4月20日、開業を伝える記事は<運河沿いに“夢空間”>という見出しで、<高級ホテル、映画・演劇施設、専門店街などが集積する新しい都市空間>と表現した。


 (大塚)それまでは天神で大丸、岩田屋、ショッパーズ…と、散策していた街をコンパクトに凝縮した姿がキャナルシティでした。客の滞在時間を長くして、売り上げに繋がるという考えに基づいたキャナルは物を売るだけではなく「ワクワク」の演出にこだわっていました。これは今、どの百貨店もやっている「コト消費」を先取りしたものです。ただ、ワクワクは飽きられたらおしまい。だから、キャナルは「コト」を維持する苦労を一番知っていると思います。

 キャナルシティが「ワクワクする空間」づくりに奮闘する中、天神では第3次流通戦争の傍ら、もう一つの戦いが過熱していた。「天神ブック戦争」だ。

 天神コアの6階で50万冊を構えた紀伊国屋書店を代表に、天神地区には書店が1991年時点で半径300メートルに13店が集中していた。そこに1996年9月、岩田屋Zサイドにリブロ(15万冊)が出店。翌年3月、大丸に紀伊国屋(10万冊)、福岡ビルに丸善(75万冊)、そして福岡三越には八重洲ブックセンター(30万冊)が、次々に進出したのだ。最上階の書店に誘客し、そこから下の階を巡ってもらう「シャワー効果」を期待したものだった。

 実は、さきほどのキャナルの開業の記事には、<強まる福岡一極集中>という見出しで、天神の動向に触れて<消費規模を上回る過剰施設の危険性をはらむなど、期待と不安の船出でもある>と懸念も示した。その懸念は、少しずつ現実のものになる。

 (大塚)天神のどのデパートにもあった書店は、その後、次々に姿を消していきました。フロアの単価が上がり、売り上げを厳しく求められるようになったからです。

 (大塚)このころから天神は少しずつ、家族連れが行きたくなる場所ではなく、「お金を使う人」の街になっていったような気がします。キャナルが街歩きの楽しさを凝縮させていった一方で、天神は「経費と工夫が必要な楽しさの演出」を維持する余裕がなくなっていったような…。

 (大塚)「楽しさ」ではなくお金を使いに来るだけの人は、街への思い入れが深まりません。そんな人たちはこの後、「アウトレット」や「ネット」に流れていきました。でも、百貨店の難しさもよく分かります。店舗が増える中で、売り上げ戦争をしなくてはいけなくなったわけですから。

■  ■  ■  ■

 天神中心部の百貨店売り場面積を一気に2.7倍に膨らませた第3次天神流通戦争は、キャナルシティ博多とともに、激しいせめぎ合いを展開する。そして1999年、ソラリアステージビルの開業で天神の流通地図はほぼ、現在の形になった。

 その傍らで、商人の街・博多で長年にわたりにぎわいを支えてきた老舗デパート「福岡玉屋」がその歴史に幕を閉じた。

 (大塚)福岡玉屋は、「博多のごりょんさんキャラ」としてギンギラに登場します。博多の発展と共に歩んできた玉屋のモノ語りは、浪花節的な部分もあり、「笑って泣けるギンギラ」が誕生するきっかけにもなりました。

 ギンギラ太陽’sの舞台では今も高い人気を誇る、玉屋のストーリーは次回に――。

 

 

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