ついに出た“玄関口の本気”、JR博多シティの「コト消費」 結束強い天神も新たなステージへ 福岡流通戦争モノ語り(7)

福間 慎一

 インターネットや郊外型ショッピングモールに押されていた福岡市・天神。その長いトンネルに終止符を打ったのは、生まれ変わった博多駅だった。

 2002年1月1日、本紙はJR九州の博多駅の大規模再開発構想を報じた。九州新幹線の全面開業するタイミングを目標に、<現在の駅ビルの二―二・五倍の新駅ビルを建設、百貨店、専門店、映画館やホテルが入居する大型複合商業施設>を目指すとの内容だった。2005年に<地上10階、地下3階、核テナントの百貨店の売り場面積5万平方メートル>という情報と共に、完成予想図が発表された。井筒屋が入っていたこれまでの茶色い駅ビルとは、似ても似つかぬ迫力だった。

 (ギンギラ太陽’s・大塚ムネトさん)「いよいよ博多駅の再開発が始まる!これは福岡の流通勢力図に大変動が起きるぞ」と予感しました。いろいろな報道の雰囲気は「博多の再開発」や「博多にもう一度元気を」というものでしたが、それで済むはずがない。これまでは天神が「福岡の中心に輝く太陽」でしたが、「博多にも人々をひきつける太陽」が誕生するんですから!2つの太陽が両方輝くのか、それとも、どちらかの輝きが失われていくのか?

 当時、すでにその結果は他都市で出ていた。札幌や京都、名古屋など、JRが大規模再開発で中心駅に建設した複合ビルが、既存の街を差し置いて最大の集客力を見せていたからだ。

 (大塚)実際に取材に行きましたが、札幌は「JR再開発で劇的に街の中心が変わった場所」です。元々の中心は雪祭りで知られる大通り公園界隈で、百貨店と複数の商店街がにぎわっていました。再開発前の札幌駅は、隣接する百貨店が廃業するなど今ひとつだったんです。

 (大塚)それが札幌駅再開発で一気に人気スポットとなった。駅前が「新たな中心=太陽」となったのです!駅は、元々多くの人が利用して往来がありますから、そこに魅力があれば集客の苦労はありません。輝きを失った大通りが取った作戦は「駅から大通公園までの地下通路」を整備すること。戦いを挑むというよりは、「バイパスで延命している」という感じでした。こうした札幌の姿を目撃したとき、「博多で近い将来に起きる大変動」を予感せずにはいられなかったんです。

 JR九州のターミナル複合施設はすでに鹿児島、長崎でも好調だった。売り場面積は増えたが、ネットに押される天神も、他都市のように「中心」の座を手放すのか――。京都も中心を奪われた。鹿児島もそうなったように、福岡でも「極異動」は起きるのか。

 (大塚)札幌で商店街に取材しましたが、関係者の方は「商売が順調な頃は、商店街同士の仲が悪く、個々で商売をしている感じだった。JRの再開発で負けて、初めてお互いが連携するようになったが、最初から手を組んでエリア全体でにぎわいを作れていたら、もっと勝負できていたかもしれない」と悔しそうに話してくれました。

 (大塚)札幌の“敗因”を聞いて、天神なら大丈夫だと思いました。そもそも天神は、商売人達が力を合わせてにぎわいを作ってきた街です。激しい流通戦争を繰り広げつつも、お互いを認めて連携し「天神エリア全体」を盛り上げてきました。天神には、大変動に立ち向かうエリアの力があります。

 新しい博多駅の核テナント候補には、井筒屋、高島屋、丸井と次々に候補が挙がった。最終的に選ばれたのは阪急。九州の人々にとっては、かつてのプロ野球球団「阪急ブレーブス」や「阪九フェリー」の印象はあるものの、百貨店としての阪急は一見、なじみ薄いものだった。

 (大塚)実は、1936年に開業した岩田屋がお手本にしたのは「日本初のターミナルデパート」を実現した阪急でした。百貨店を作ろうとしていた岩田屋呉服店の中牟田喜兵衛に、九電をつくった松永安左エ門が、阪急の小林一三を紹介して、「九州初のターミナルデパート」が誕生したんです。岩田屋開店には小林も駆けつけたそうで、岩田屋の社員研修を阪急で実施するなど繋がりがありました。こうした天神の歴史を知っていたので、阪急の進出を聞いて、「そうか、天神のお手本だった阪急が、今度は博多を盛り上げるために来てくれるのか」と、時空を超えた縁を感じました。

 そして2011年3月、白や銀色の明るいイメージに衣替えしたJRシティが開業した。阪急を中心した新たな拠点が繰り出したのは、物を売るだけでなく、体験を売る「コト消費」だった。

 (大塚)JR博多シティが見事だったのは、「各世代が出掛ける楽しさ」を追求してくれたことです。アミュプラザは人気ブランドだけでなく、東急ハンズ、大型書店、家族で楽しめるポケモンセンターと、それぞれの世代がワクワクできます。博多阪急は、「コトコトステージ」を作り、コト体験をアピールしました。究極は屋上の「つばめの杜ひろば」です。神社、子どもの汽車、展望台と、家族連れでにぎわっています。

 (大塚)「警備など安全管理の費用がかかるので屋上は使わない」というのが当時の流れでしたが、なぜ屋上を作ったのか?関係者に取材すると、「昔のデパートのように、家族でワクワクできる空間を作ろう」と一般開放が決まったとのこと。各階のエスカレーター周りに設置された「ゆったり座れる空間」も印象的でした。博多シティには「屋上維持や無料休憩スペースに費用をかけてでも、心地よさを追求するのだ」という志を感じました。

 さらに、これまで天神がほぼ独占していた「九州初出店」も博多に流れた。アミュプラザのテナント229店のうち、九州初登場は84。店舗面積が2倍以上にふくれあがった巨艦のインパクトは大きかった。

 (大塚)ついに「九州初進出が天神でなくて博多」という事態も起きました。天神の流通関係者に取材をすると「天神を選んだ九州初ブランドから『博多に2号店を出したい』と言われて困った」との声も。これは天神にとって、本当に脅威でした。

 そもそも、かつて天神に集まった「つばめ族」はJRの特急で博多に降りる人たち。それが博多で買い物をするようになる。まさに、各地のJR再開発ビルと同じ展開だった。天神の売り上げは、落ちた。

 (大塚)JR博多シティのスタートダッシュは本当に凄かったです。天神の百貨店が午後8時で営業終了なのに対して、博多シティは午後9時まで。駅ビルですから仕事帰りにギリギリまで買物ができます。店休日も作りませんでした。さらに「往復切符と商品券の割引セット」という鉄道会社ならではの援護企画もあり、どれもインパクトは十分でした。

 しかし、やはり天神はそこで終わらなかった。何が起きたのか。

 (大塚)「オーバーフロア」と言われて流通戦争が激化し、「居心地の良さを演出する費用」を負担できなくなっていた天神は、郊外店やインターネットにお客様を奪われていました。そこに博多シティが「コト消費」をしかけてきた。「各世代が出掛ける楽しさ」を追求する姿勢は、天神を大いに刺激しました。

 (大塚)天神の百貨店にも、家族向けのイベント、企画展が増えて、かつて売り上げ重視の中で消えていった書店も、戻ってきました。百貨店、地下街に「無料で休める空間」も増えました。もともと連携している天神です。エリア全体で色々な「ワクワク」の取り組みが始まりました。

 そしてできあがった「共存共栄」。もちろん百貨店自体の売上高は今も伸び悩んでいるが、次の時代に向け、博多と天神のライバル関係はさらに発展していくだろう。

 (大塚)もともと天神は、博多のにぎわいに負けない街を作ろうとして発展してきました。そして第2次流通戦争を経て、天神は「福岡の天神」から「九州の天神」へと成長。そこに博多が、追いつき追い越せと登場してきた。

 (大塚)北海道の例など、これまではJRの再開発で「新しい中心=太陽」が誕生すると、元の中心からは輝きが奪われていました。しかし、天神には連携するエリアの底力があり、その輝きは強力です。今や、天神と博多という「2つの太陽」が輝く、最強の街になった福岡は、ますます商圏が広がっています。戦う皆さんは大変だと思いますが、今後も、天神と博多の「各世代が出掛ける楽しさの追求」に期待しています。

 そして2019年、平成はもうすぐ終わろうとしている。大規模再開発でその姿を大きく変える天神は、どこに向かうのか。次回で「福岡流通戦争モノ語り」はいよいよ最終回。舞台は福岡都心・天神のにぎわいの原点であり中心でもある、「あの交差点」へ――。

 

<連載リンク>
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