ありがとう、私たちは福ビルを忘れない 画期的で「デラックス」だったランドマーク

 地下鉄天神駅から大丸の上にある西日本新聞社に通勤している。どこから地上に出るか、どの角を曲がるか…行き方は無数にある。

 最も多用するのが、天神地下街から福岡ビルに入り、因幡町通り(スターバックスとシアトルズベストの間)に出て本社に向かうルート。商業施設がまだ開かない午前9時すぎでも、福ビルでは地下からの上りエスカレーターが動いているので、少し得した気分になるのだ。

 その福ビルが、4月6日に閉館する。

 1961年12月31日に完成、翌年1月29日の開館披露式から57年余、20886日にわたって福岡の人々に親しまれた計算になる。

 人でもモノでも「当たり前のような存在」は、消えるときになってその重みをいや増す。その福ビルをじっくりと見納める、貴重な機会をいただいた。

 産業考古学会理事の市原猛志さんと、福ビルに本社を構える西鉄の社史の編さんにも携わった郷土史研究家の益田啓一郎さんに同行させてもらったのだ。当日は福岡の街の物語を「かぶりモノ」演じる劇団「ギンギラ太陽’s」主宰の大塚ムネトさんも合流した。

 あらためてじっくり歩いた福ビルは、やっぱりすごかった。建設当時に多用されていた新聞表現を拝借すれば、まさに当代随一の「デラックス」なビルだった。

◇◇◇◇◇◇

 「福ビルとくれば、なんと言っても外観のカーテンウォールとメタルパンチングです。当時の福岡の街ではかなり斬新な存在でした」。市原さんは言う。

 カーテンウォールとは、柱と梁で加重を支える建物のうち、柱を建物内側に配置して窓を広くする構造を指す。当時の福岡都心部の写真を見ると、銀行や百貨店などの重厚な大規模建築物は軒並み、窓は外壁に囲まれている。

 金属板をプレス加工して外壁板に仕上げるメタルパンチングも福岡では珍しかった。「福岡では最初期の大規模なモダニズム建築です」。

 画期的なビル外観にもかかわらず、当時の本紙記事にはこんな記述があった。<「弁当箱みたいで安っぽい」という声(1961年10月13日付)>。…そ、それだけ注目が集まっていたということだろう。

 「こっ、これは…」玄関近くで、市原さんが足を止めた。「う〜ん、大したものですよ」と指し示したのは柱。柱の周囲、御影石の化粧板の厚みだ。なんと14センチもある。「普通は3センチあれば十分なものですが…この圧倒的な厚みはちょっと考えられない豪華さですね」

 館内に入ると、エレベーターホールでまたもや驚きの事実が判明した。出入り口周囲の大理石。地下はまだら模様だが、1階は深い緑色という具合に各階で模様が違うのだ。「石の産地を変えていますね。これも通常ではあり得ない手間です」。いつも通るのに、まったく意識していなかった。

 旧安田信託側の階段室の壁面は縦横に線が入った深緑色の「布目タイル」が敷き詰められている。市原さんは「本当に、お金がかかっているなあ…」。多治見(岐阜県)のモザイクタイルミュージアムの収蔵品にもなりそうだ。

 地下駐車場に降りると、市原さんが「おおっ」と息をのんだ。スロープはアスファルトではなく、花こう岩の石畳。しかも石はアーチ状に並べられている。「手作業でないとできない、とにかく手間がかかる作業。でも石はアスファルトより強度があり、滑り止めとして十分な活躍が期待されたのでしょう」

 実は、一般客向けのビル地下駐車場も福ビルが福岡初という。当時のまま残っている床面に、また市原さんが足を止めた。セメントに砂利を混ぜて流し込み、表面を磨き上げた「研ぎ出し仕上げ」が用いられている。「天然石に見せる高級感ある仕上げは、普通はカフェなんかに使われます。それが地下駐車場の床にあるとは…」

 ちなみに、料金支払い口そばにある安全確認用の鏡も”博物館級”だ。利用している人は知っていると思うが、開業当時からある福岡トヨペットのロゴが入った、幅約180センチの大鏡。<クラン1900デラックス><コロナ1500デラックス>という当時の主力車名が記されている。日光が届かず通気もあり、保存状態は比較的良い。

福岡県の天気予報

PR

PR

注目のテーマ