博多ロック編<181>録音機背負う昆虫学者

上田(右から2人目)と「サンハウス」「ブロークダウンエンジン」などのメンバー=「ぱわぁはうす」前で 拡大

上田(右から2人目)と「サンハウス」「ブロークダウンエンジン」などのメンバー=「ぱわぁはうす」前で

 北九州市八幡東区の上田恭一郎(63)の自宅の部屋は自作アンプのオーディオ、ロックのレコード、ギターが占拠している。

 「標本はここには一つもありません」

 上田は九州大学農学部博士課程を修了後、北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)の昆虫担当の学芸員として博物館を支えた。

 標本であふれた部屋を想像していたが、そこには虫屋の匂いはなく、ロッカーの部屋だ。

 昆虫とロック。ミスマッチな出合いは宮崎市での少年時代だった。宮崎神宮の森で粗末な捕虫網を握ってチョウ、トンボ、セミを追った。宮崎大学の学生が声をかけた。

 「みんなで宮崎神宮の昆虫目録を作りませんか」

 大学生は集まった少年たちに標本の作り方を教え、採集のときには歌を歌った。ヴェルヴェッツの「愛しのラナ」、ポール・アンカの「ダイアナ」…。洋楽が上田少年の耳にも残った。

  ×    ×

 九大に進んだ上田は福岡市博多区須崎のうわさのロック喫茶「ぱわぁはうす」をのぞいた。

 「最初は一見の客、お断り、の感じで入りにくかった」

 通ううちに店主の田原裕介、バイトの松本康やミュージシャンたちと言葉を交わした。

 「音響技師になりたいと思ったこともあった」

 父の形見が下宿にあった。ティアックのオープンリールの録音機。「サンハウス」の鮎川誠に「ライブを録音してもいいか」と聞く。鮎川は「コピーがもらえるなら」と承諾した。

 1974年2月9日

 1974年3月31日

 この両日、上田は重い録音機を昆虫採集のフィールドワークに使うアルミパイプの背負子(しょいこ)に縛り付けた。東区箱崎の下宿から路面電車に乗って店にやってきた。ステージ前にマイクを2本立てた。

 「聴衆が押し寄せて、マイクが倒れそうになり、何度も『マイクに触るな』と必死に守りました」

 録音機を背負っていたことから「二宮金次郎」と仲間から呼ばれた若き昆虫学者が「標本」にしたのは「サンハウス」の伝説的なライブだった。

 上田は10年前に、このテープを自分の手で私家版として2枚に分けてCD化し、田原、松本とサンハウスのメンバーだけに送った。これを元音源にして「サンハウス」の事務所「サンライズ」から市販された。

 上田はテープからCDに移すとき、28年ぶりに聴いたライブをライナーノートにこのように書いている。

 「ロックンロールが回り始め、古びた6畳のアパートの一室にあの喧(けん)噪(そう)に満ちた生き生きとした『ぱわぁはうす』が帰ってきた」

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2013/11/11付 西日本新聞夕刊=

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