出前の神髄は「ダブルプレー」? 老舗中華のロング・アンド・ワインディング・ロード

 ビートルズ好きにとって、ここ数年はさまざまな「50周年」に思いをはせることができる幸せな時間だ。先日、1月30日は1969年、 ロンドンの旧アップル本社屋上で突然4人が演奏し、事実上最後のライブとなった「ルーフトップ・コンサート」から50年。映像では強風が吹き付け、ロンドンの冷え込みが伝わってくる。

 こちらは暖冬の福岡。とはいえ、さすがに寒くて外に出たくない日もある。空腹は募るが、料理に手間をかけたくないし、できればうまいものを食べたい。そういうときの心強い味方が「出前」だ。

 そういえば1年ほど前、中華料理店を営む下田浩一さん(54)が「出前は奥が深いとですよ」と話していたことを思い出した。

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 福岡市中央区春吉の「紅蓉軒(こうようけん)」は、下田さんの強すぎるビートルズ愛が店内をポスターやゆかりの品で埋め尽くし、ファンからは「ビートルズ中華」として知られている。父・政弘さん(80)が1966年に大衆食堂を開いたのが始まりだ。

 中洲にほど近い立地。当初から夜の店で働く女性たちが出勤前に髪を結う美容室や雀荘、旅館などから頻繁に注文が入った。母の美恵子さん(79)は「かき氷も出前しよりました」。女性たちは髪を結いながら、皿うどんをかきこんでいたそうだ。

 店は70年、人気が高かった中華料理に特化して衣替え。下田さんは中学生時代から出前を手伝った。「当時は出前と来店の売り上げの比率が『9.9:0.1』ぐらいだったでしょうか。とにかく注文が多かった」という。「ラブホテルのフロントにも、早〜くから出入りしよりました」

 80年代にかけ、注文は多い日で150件に上った。大学を中退して店を手伝うようになった下田さん。料理を載せた縦70センチ、横40センチほどの木製の出前箱を3、4個重ねてバイクで奔走した。「全部で20キロ以上、“キャリー・ザット・ウェイト”でした。毎日がハード・デイズ・ナイトで“ゴールデン・スランバー”(黄金の眠り)でした」

 中でも「一番つらくて、いやだった」のが、「器下げ(器の回収)」。取りに行った器が玄関先に出ておらず、しかも家人が不在となると、どっと疲れた。現在の宅配業界の「不在、再配達」も同じだろう。

 温かい料理を空腹の客に届けるという、時間との厳しい戦い。下田さんは出前を成功させるのに不可欠なのは辛抱強さと、経験に基づく機転だと話す。「出前はダブルプレーなんです」

 出前が野球のダブルプレー?どういうこと?

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 下田さんは現在、出前を受け持っていない。かつて心がけていた「ダブルプレー」の精神とは――。

 出前は注文を受けた順に届けるのが原則だが、例外として順番を厳密に守らないことがあり、その“例外”が多い。なぜかというと「多くのお客さんにできるだけ満足してもらうため」。

 野球でワンアウト、ランナー1塁。ゴロを捕球した遊撃手は二塁手に送球、そして一塁手に球を投げてダブルプレーが成立する。もし遊撃手が1塁に投げれば余裕で1アウトを取れるが、二塁でアウトを取るのはかなり難しくなる。「これと同じです」

 つまり、こういうことだ。

 遠いところと近いところから同時に注文が入った場合は、近いところを優先する。また、例えば7種類もの注文が入った時に、後からそのうちの1種類と同じ注文が入った場合は、まず注文数が多いものを優先する。「待ち時間を平均化して、全体の時間をいかに短くできるかが勝負です」

 学生時代、申し訳ないと思いながらこんな工夫もした。3階と5階に器を取りに行くときは、まずエレベーターを5階で降り、その際に「7階」と「下りる」のボタンを押す。器を回収してエレベーターに戻ると、ちょうど7階に上がったかごが5階に戻り、待たずに下に降りられるというのだ。もちろん今は、そんなことはしないが…。

 昭和末期、春吉界隈の客からは「遅かろうが」とよく怒られたという。「お客さんに鍛えられました」と下田さん。時間短縮のためエリア一帯の信号の待ち時間やタイミングも熟知していた。

 それでも、出前はやはりつらかった。来店中心の経営にシフトしようと、平成を迎えた1989年に店を改装した。器も使い捨てのポリ容器が登場したためすぐに導入。だがそんな“レボリューション”は注文の激減をもたらした。昔気質の方々に「こげな味気ない器で持ってきてから」と嫌がれたという。「来店を後押しする面もありましたが、当時はまだ出前が屋台骨。心配しました」

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 平成年代の下田さんは厨房でメニューに磨きをかけ、皿うどんを筆頭に、マーボー豆腐などが人気を博してきた。それと軌を一にするかのように、春吉にも飲食店が次々とオープンし、注目のエリアとして多くの人が食べ歩く街になった。紅蓉軒の売り上げに占める出前と来店の割合は30年間で完全に逆転。「1:9」で来店が多くなった。

現在、紅蓉軒の出前は大通りに囲まれた1キロ四方ほどの範囲に限っていて、父の政弘さんが受け持っている。そして今、下田さんが注目しているのが、昨秋、福岡でもスタートした飲食配達サービス「Uber Eats(ウーバーイーツ)」だという。

 自分の都合の良い時間に、しかも出前のエリア外でも料理を届けることができるというのが理由だ。「『あそこの店の料理が食べたい』という声に応えるのは、昔の紅蓉軒のスタイルに似ている。『よその中華にいくよりも、あんたのところの出前の方が良い』というのを良く覚えている。そんなサービスが提供できるかもしれない」。客にとって弁当店やコンビニに比べてハードルが高くなった感もある出前の“復権”も感じている。

 春吉生まれ春吉育ちの下田さんは2013年、大通りから離れて少し目立ちにくい店周りの一帯を盛り上げようと、<アビイ道路>と記した道路案内看板を軒先に掲げ、ユーモアを込めて通りを“命名”した。

 かつてポリ容器を嫌ったお客も「便利がいい」といつしか戻ってきた。「出前はこれからも、ずっとなくならないでしょう。かつてはあれほどいやだった出前ですが、今思うとやっぱり、大事ですね」

 かくして紅蓉軒の“長く曲がりくねった道”は、まだまだ続く。

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