活性化しない「中心市街地」に不要なものと足りないもの まちビジネス事業家・木下斉さん

 「地域活性化」「地域再生」。記者自身、新聞社に入社して以来、何十回、いや何百回この言葉に触れただろう。人口減少が進む九州のほとんどの市町村が重要な施策として掲げているこのテーマだが、それを達成したところは多くはない。何が足りないのだろうか。

 高校生のころから街の商店会の活動に参加して起業、その後大学在学中から今に至るまで全国各地で「地域づくり」に向き合ってきた、まちビジネス事業家の木下斉さん(36)が新著を発表した。<凡人のための地域再生入門>という小説だ。

 20年間にわたる失敗と成功の現場から得た事例を「分かりやすく伝えるにはロジックではなく、ストーリーの方がいいと思った」という木下さん。9月にqBizが主催したイベント「地方最強都市・福岡で考える『九州バカ』論」でも忖度なし、遠慮なしのトークを繰り広げた通称「狂犬」に、あらためて聞いた。

 「地域活性化」って何ですか――。

「麻薬」頼みで失われる経済の原理

 ―小説の舞台は「東京から新幹線で1時間、さらに在来線で20分、人口5万人ほどの地方都市」。この立地が示す意味は?

 日本全国、どこにでもある街。「栄えたことがない」というほどではないけど、今は通過されるだけ――そんな衰退している街を想定しました。言い方は悪いけど、中途半端で住民の愛着もそれほどない、というような街はかなり多い。課題を抱える地域の標準地をつくってみました。

 ―「中途半端な街」が抱える問題は。

 中途半端に都市化しているので、ただ人がいないだけの建物と道路の集まり。観光も期待できない。そこでやっていくには、何か事業を仕掛けるしかない。そう考えて取り組む人はいますが、役所とけんかしたり、他の人の批判にさらされたりしています。

 ―書中では、「公務員」が悪役になっている。

 衰退する地域で根深いのは、自治体が「最大の事業者」になってしまっていること。出入りする最大のお金は、「権利」と「制度」に頼った「税金」と「年金」。そこでは喜ばれるモノやサービスを提供するという経済の原理が失われます。こうなると、出口はなかなか見えにくい。

 ―「地域活性化」といえば補助金。その存在を常に否定的にとらえている理由をあらためて。

 いつも「補助金は『麻薬』だ」と言っています。なぜ麻薬かというと、使い続けないといけなくなるから。新規事業や創業でも「もらえるものはもらっておけ」と補助金に頼りがちです。でもそれで本当に助かるのか。お金は本来「使って(出資者に〕リターンする」のが目的ですが、「きちんと使う」ことだけが目的の補助金に頼ると、役所に口を出され、細かい報告を求められ疲弊します。民間の事業とは本来、自治体予算のかさに入らず、少しでも外から稼ぐことが大切なのに、補助金頼みを続けてきた結果が、今の地方の実態ではないでしょうか。

 ―書中でインパクトが強かった言葉は「まち衰退の起爆剤」という言葉だった。

 1998年に中心市街地活性化法が施行されて20年になります。で、まだ活性化していないのに、誰も「”中心市街地活性化”って違うんじゃない?」という疑問をもたない。

 ―街の中心部がにぎわうというのは、悪いことではない。

 総論に反対する人はいません。中心市街地活性化という発想を「潰せ」という人はいないでしょう。ただ、中心部とはどういうところかというと、「ストック(建物や公共インフラ)が多いところ」。それさえなくなった所を「中心」というのは単なるノスタルジーでしかなくなります。

「よそ者」「若者」「ばか者」論の間違い 

 ―本来、行政がやるべきことはどういうことなのか。

 大きな制度変更のような「100年の計」はもちろん役所がやるべきです。でも、逆になってはいないでしょうか。観光客増加とか、ゆるキャラとか、1年、3年で成果が出そうなことばかりやっている。それは民間でもできます。

 ―では、衰退する地域には具体的に何が必要だと考えるか。ストックが残っている場所を再び活発な場所にするために効果のある取り組みとは。

 一番意味があるのは、新たな開発の規制です。かつては自然保護が目的だった市街化調整区域ですが、今必要なのは「資産保護」のための全体の開発規制。今は人口が減る時代に、過剰にある建物の価値がどんどん失われていくという状況です。それを変えて、老後を担保して個人消費を刺激するにはそれしかない。ドイツではもっとストイックにやっています。人口が減ればストックを減らし、余った住宅は公営住宅として借り上げることもあります。需給バランスを取るので、不動産の価値が下がらない。

 ―日本ではなかなか難しそうだ。

 街にある容積を増やさずに壊して建て替えるか、リノベーションするかが市街地の価値を守る最大の施策です。日本はこれまで人口増加には見事に対応してきましたが、人口減少局面に対応できる制度構造がとれていない。だから各地で負の連鎖が起きています

 ―作品中では、既存の古い店屋が生まれ変わり、新たな価値を生んでいく。同時に、地域活性化のキーワードとしてよく挙げられる「よそ者」「若者」「ばか者」は「ウソだ」と否定しているのが印象に残った。

 大事なのはやっぱり信用、知識と経験、そして投資能力。他のビジネスと違う原則があるわけではない。結果として「よそ」「若」「ばか」の3者がいることはあるけど、だいたい「そういう人が必要だよね」と言っている人がいる所では、街づくりは成功しません。なぜかというと「よそ者」「若者」「ばか者」に、やってもらおうと思い、自分が当事者になっていないから。

 ―よそ者、若者、ばか者は地域活性化の「必要条件」でも「十分条件」でもない。

 成功事例が出たときに「よそ、若、ばか」は注目されます。でも、本当に大事なのはその背後にある、地元にずっといる人たちの覚悟。「よそ者」「若者」「ばか者」が活躍できない理由は、もともといる人に問題があるから。よそ者に対しては「何も知らないくせに」。若者に対しては「無謀だ」。ばか者に対しては「極端だ」。これが、潰す常套句です。

リスク指摘を競い合う組織からは何も生まれない

 ―主人公はシャッター街で営まれていた実家の店じまいをすることになった33歳の「平凡な会社員」。旧友たちと再会し、地元の現実に向き合う中で、思いがけず街の再生に奔走することになっていく。

 「何をやるか」より、「誰とやるか」。失敗は当然つきものだし、周囲からいろいろ言われて後ろ向きになります。そのときに、暗くなって後ろを向いていたら道は開けません。結局はネアカが勝ち。事業はメンタルが基礎部分で、ロジックが建屋みたいなもの。基礎がしっかりしていないと、建物は支えられません。

 ―とはいえ失敗するのはやっぱり怖い。

 失敗と言っても、戦争のように多くの人の命が一気に奪われる訳ではありません。よくないのは、ちょっとしたミスを、大きなリスクとして考え始めること。そうすると、組織全体がリスク発見能力の高さを誇りたがるようになります。「問題が起きたらどうする」への問いは「起きたときに考えます」が答えです。

 ―作品中でも、そういう壁に直面して、事態がときどき悪い方向に向かい、安きに流れてしまう。

 そんなときでも、信頼できる仲間が2、3人いることで物事は続きます。ノーリスクはノーリターン。取れる範囲でリスクは取る。そしてそのリスクって、そこまでひどいものではない。そういうことが伝わればいいと思います。

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