天神ど真ん中「ビスタポイント」の謎 ひっそり埋まった、直径15センチ

ビスタポイント。これはなんだろう 拡大

ビスタポイント。これはなんだろう

市役所西側ふれあい広場の正面にあるビスタポイント。現職の市職員もほとんどその存在を知らないようだ 中央区役所に保管されているマイクロフィルムにあった「ビスタポイント」の図面。右上に例のマークが記されている

 一日に1万人以上、休日には1万5千人もの人が歩く福岡市・天神の市役所前。その歩道上に、ほとんど見向きもされない、なんとも不思議なものが埋められている。一見マンホールのようだが、下水道でもNTTでも西部ガスでも九州電力でもない。

 直径は15センチ、真ちゅう製とみられる。何かのふた状のものに刻まれているのは<VISTA POINT>、そして日本語で<ビスタポイント>の文字。そして人さし指で指し示す手の形。そして見覚えのあるシルエット――これは地元住民ならピンと来る。福岡市の輪郭だ。

 指さす先には市役所の本庁舎がある。この「ビスタポイント」があるのは西側広場の真正面の一つと、そして市役所北側の歩道に車道を挟んだ二つ。南の博多大丸側や、東の中央公園側にはない。

 こ、これは何なんだ。

 市役所を訪ねた。市庁舎の管理を担う財産管理課は「まったく知らなかった」。関係部署に尋ねてくれたが、「分からない」。ただ、「設置したのは市で間違いないのでは」という。

 VISTAとはイタリア語で「展望、眺望」といった意味。「VISTA POINT」つまり「展望地点」、そして指し示す先にある市役所――。

 先日、ひっそり30周年を迎えた荒津大橋について書いたが(※リンク貼ります)、実はこの市庁舎も今年7月にひっそりと落成から30周年を迎えていた。当時は白亜の外観が注目を集めた。その自分を指して「左斜め45度の、ここが一番よか見栄えですばい」とでも言っていたのか。なんとナルシストな(冗談です)庁舎だ。

 何しろ30年前の話なので、資料がない。市の公文書管理規則で保存期間を「永年」と定めているのは「市政の運営に係る基本方針の決定」など極めて重要なものに限られる。誰も気に留めないビスタポイントに関する文書が、これに該当するとは思えない。

 市役所周囲の歩道を整備したのは中央区役所。地域整備課によると、その工事期間が1991年9月26日〜92年5月20日だったという記録が残っていた。その間にビスタポイントが埋められたのだろうが、確証がない。

 「『福博プロムナード』と関係があるかも」。いつも助言をいただく、郷土史研究家の益田啓一郎さんはそう考える。実はこのビスタポイントも、前々から気になっていたという益田さんとの雑談の中から「あれは何なのでしょうね」と呈されたクエスチョンだったのだ。

 福博プロムナード、この名前を知っている人ももう少ないかもしれない。正直に言うと、私も知らなかった。天神コア横の細い路地から市役所北側→天神中央公園→福博であい橋→冷泉公園に至るルートを遊歩道に整備する取り組みで、福岡都心の景観整備が進んだ80年代後半〜90年代初めに、県と市が連携して進めた。

 ということで県の公園街路課に尋ね、県庁地下の書庫まで探してもらったが、「分かりませんね…」。ここにも手がかりはなし。設置者が誰なのかさえ分からないのか…。

 と、問い合わせていた中央区の地域整備課から連絡があった。なんと資料があったという。

◆◆◆◆◆

 「この1枚だけですが」。中央区地域整備課の吉田信康課長が見せてくれたのはA3サイズの紙。同区の工事に関する記録を残しているマイクロフィルムの中にあったという。

 <平成3年度 工事名 市庁舎周辺道路整備事業天神一丁目地内(2工区)道路舗装工事/デザイン舗装3)構造図 中央区役所土木部土木課>

 やはり設置したのは中央区だった。図面の右上に、ビスタポイントのデザインが記されている。厚みは2センチ、そして路面から外れないようアンカーで固定されていることが新たに判明した。ポイントの両側にある装飾についても記載がある。

 だが、肝心の「なぜ」が分からない。なぜ西側と北側だけに、なぜ両側を指さしている、そもそも何のために…。「新庁舎の整備に合わせて作られたのは間違いないのですが…」と吉田課長も困っていた。

 この人に聞くしかない。九州芸術工科大(現九州大)で長く教員を務め、福岡市都市景観室のアドバイザーや屋外広告物審議会委員などを務めた同大名誉教授の佐藤優・神戸芸術工科大副学長(視覚記号・都市景観計画)。現場の写真を確認してもらい、話を伺った。

 「調べてみましたが、分からない。福岡市のサインは多く手掛けているので良く状況は分かっているつもりでしたが…。しかし面白い物を見つけましたね」

 少なくとも言えるのは、当時福岡市で「景観」への意識が急速に高まっていたということだ。都市景観賞は1987年に創設。佐藤副学長は「さまざまなものが表彰される中で、歩道を整備した中央区が『市役所もその対象になる』という風に考えたのかもしれない」と推測する。

 当時、福岡都心部では大きな銅像やレリーフ、碑文など、当時はこうした「景観モノ」がブームのように多く設置されていた。ビスタポイントもその波に乗ったが、他のものと比べると小さく目立たないこともあり、文字通り“埋没した”のではないだろうか。

 佐藤さんによると、福岡市に都市景観室が設置されたのは1986年。政令市となり、人口100万人を超え、「アジアの拠点」を掲げ始めた福岡市が、道路や上下水道といった都市の基盤整備から、文化や景観という「心の豊かさ」を求めるという次のステージに進み始めたのが、この時期だった。

 そして今、福岡市では山笠やどんたく、食文化の伝統はしっかり受け継がれる一方で「ちょっと古い」ものはどんどん上書きされている。前に前に進むのはもちろん大事なことだが、そこに少しでも、あの日あの時の街の風情が残っていてほしい。それが今から見ればダサくても、イケてなくても、街が刻んだ大事な歩みであることには変わらない。

 偉そうなことを言っても、今回ビスタポイントの謎を全面解決できなかったことは言い逃れできない。何かさらなる手がかりをお持ちの方はぜひ、教えてください…。

福岡県の天気予報

PR

PR

注目のテーマ