「かぶりもの」から見た福岡(前) ギンギラ太陽's・大塚ムネトさん “許されて20年”すべては取材から

 福岡市を拠点に活動する劇団「ギンギラ太陽’s」。1997年2月の旗揚げ以来、かぶりものでビルや乗り物を演じ、福岡の街を描いてきた。すべて無許可にもかかわらず「許されて20年」と語る主宰の大塚ムネトさんに、かぶりものを通して見てきた街の風景と、今後の展望を聞いた。

苦しんだ「ネットの台頭」

 ―これまで手掛けた「かぶりもの」はいくつ?

 大塚 無許可で演じてきて、これまで一度も怒られずに、それどころか応援していただいてきた。そんな劇団は、世界を見てもうちだけかもしれない。かぶりものは4、5年前に500個を超えてから、もう数えていない。基本的に新作の劇では60キャラぐらいが新たに生まれることもある。

 ―キャラクターはどうやって作られるのか。

 大塚 全ては取材から始まる。その建物は男性キャラなのか女性キャラなのか。洋風か和風か、年配かヤングか…。取材を通してビルや乗り物の生い立ちや生きざまが分かってくると、だんだん固まってくる。すると服やしゃべり方が決まり、だんだん一つのキャラクターになる。

 ―福岡を舞台にして、「ネタが尽きる瞬間」はなかった?

 大塚 一番、危機を感じたのは、デパートの元気がなくなったとき。ギンギラは平成元年(1989)の「第2次天神流通戦争」の物語を作ったのが最初。イムズとソラリアができて、ユーテクが一人負けして…。ずっと、天神では次々に新しいお店ができていた。

 それがそのうち、「天神対郊外のアウトレットストア」に変わった。まだこれは「リアル対リアル」だったが、次に「ネット対リアル」になった。そのときはもう、現実がネットに押されているようで、対立軸が見えなくなった。

 11年に上演した「地上最大の作戦」では、現実をぐちゃぐちゃにしようとするネット通販を「敵」として描いた。デパートは単なる場所貸しみたいになって各店の特徴がなくなっていき、カンフル剤を打つように「九州初お目見え」が登場し、それがしばらくすると当たり前になる、延命処置のような感じだった。僕も、物語として何を描いていいのか見えなくなっていた。

 ―不安や無力感はあった?

 大塚 2007年からしばらく、流通を題材にしていなかった。「地上最大の作戦」も「さすがに一回ぐらいは流通を物語にするか」という感じでネット通販を取り上げた。ただ、街って流通もあれば交通もある。だからそのころちょうど到津遊園の復活があったので遊園地の話を作ったし、YS11が日本の空から引退するということもあった。流通以外のことをやりながら、(ギンギラの作品の幅が)広がっていった。

「コト消費」に活路

 ―しばらく続いた流通の低迷を打破したのが「JR博多シティ」だった。

 大塚 2011年は2月に「地上最大の作戦」の後、4月に「流通戦争だよ全員集合!」。7月に「博多駅がやってくるヤァヤァヤァ」。11月に「明日に向かって売れ」と、流通ものを次々にやった。郊外店との戦いからネットとの消耗戦、そして博多シティの誕生で「天神と博多の競い合い」のフェーズになった。やっと、待っていた流通の話ができた。

 博多に阪急が来たというのが、とても印象的だった。福岡の街の成り立ちを振り返ると、岩田屋が天神に店をつくるときに手本にしたのが阪急だった。国内最初のターミナルデパートを作ったのが阪急。さらに阪急が作った沿線開発という私鉄のビジネスモデルを、西鉄と岩田屋がお手本にした。

 博多が活性化すれば、天神も元気になる。かつて天神の手本になった阪急が今度は博多を助けて、それが今、天神を助けることになる。僕自身には阪急が来ることにすごく必然を感じた。

 ―それから7年。天神は活気を取り戻した。

 大塚 ネットにはできない、店舗の良さはまさに、そこでしか体験できない「コト消費」。JR博多シティにはポケモンセンターや書店があり、保安上の理由や経費の理由で屋上が閉鎖されたビルが増える中、あえてそこを楽しめる場所にした。「家族が出かける楽しさ、そこでしか味わえないワクワク」を打ち出した。

 ネットと過剰に競争しているときの店舗は、「買い物する人」のことばかり考えていたように見えた。その場所で「過ごしたい人」のことは置き去りにされていた。そのころの天神は買い物の便はよくても、ちょっと座るところがあっただろうか。あまりお年寄りに優しい街じゃなかったかもしれない。

 JR博多シティができた後は、天神にもエスカレーター周りに座れる場所が増えた気がする。確実に言えるのは、老舗の百貨店が家族向けのイベントを再び頻繁にやるようになった。現実の店に「ワクワク」が戻っている。

「許し」の源流に「にわか」

 ―博多駅前の大陥没をユーモラスに描くなど、少しブラックな話題も織り交ぜる。なぜ福岡で受け入れられる?

 大塚 「博多にわか」の伝統が、僕らが許してもらえる大きな背景になってくれていると感じている。博多にわかは、福博で起きている世相や事件をある意味、笑ってみんなで楽しむ文化だった。

 ギンギラを始めたとき、いわゆる「大人」には怒られるかなと思っていたが、意外にも年配の方々が最初から笑って許してくれた。これって今思うと、明治からずっと続く、博多の世相を笑う「にわか」の文化がそもそも根付いていたのかなあ、と。自分たちだけの力じゃない。

 システムだけじゃない「おおらかさ」があるのが福岡のいいところ。東京みたいにシステムだけでカッチリできあがっている街だったら、僕らの劇は、きっと許されないだろう。

上書きの街に岩田屋の存在感

 ―生み出してきたキャラクターの中で、心に残る存在は。

 大塚 街は基本的に上書きされていく。そこに「記憶」は残りにくいけど、ギンギラにとって幸いだったのは、天神に昔も今も、岩田屋がどーんといてくれたこと。おかげで、僕は天神の物語をたどるきっかけもらえた。そして福岡県小郡市の出身だった僕は、小さいころ日曜日に西鉄の急行で天神に来ていた。西鉄と岩田屋の存在は、やっぱり大きい。

 ―福岡は自身にとって、どんな街?

 大塚 小さいころから、天神は休みの日に家族で電車で来るあこがれの場所だった。日曜日、妹と父母と4人で岩田屋に行っていたが、お金はそんなに使っていない。払ったお金よりも、もらったワクワクの方が圧倒的に多かった。でも、おもちゃ売場で遊ばせてもらったり、屋上で遊んだりして、天神が家族の思い出の大事な場所になっている。それはまさに「コト消費」。それは巡り巡って、お店とそこに住む人の信頼関係になるんだと思う。

 

※大塚ムネト(おおつか・むねと)氏 1965年4月生まれ。97年から劇団「ギンギラ太陽's」を主宰。地元福岡を題材とし、擬人化したビルや乗り物が登場するのが特徴。作・演出・かぶりモノ造形・出演のすべてを手がける。第42回ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞、2007年度福岡県文化賞などを受賞。福岡県出身。

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