残された時間はどんどん少なくなる 聞きとどめておかなければいけない話

 突然の旅立ちだった。

 福岡市東区の田富三千男さんが、6月10日午後に病気で亡くなった。大正10年11月生まれの96歳。補聴器一つ付けず、ときどき脚立に登って屋根の修繕をして、家族の誰よりも早足で歩き、正月には驚くほど高々と上がるたこをつくり、さらにお酒も強い「かくしゃく」を絵に描いたような人だった。亡くなる直前の10日朝まで、いつもと変わらないように庭の掃除をしていた。

 田富さんは妻の祖父。実家を訪れると、孫と同じように私もかわいがってもらい、「じいちゃん」と呼ばせていただいていた。

 じいちゃんは、仏前での朝夕の勤めを欠かさなかった。そらんじるお経の合間に、必ず唱えていたのが、太平洋戦争での戦友たちの安らかな眠りを願う言葉だった。

 食卓を囲むと、じいちゃんはよく戦地の話をした。

 「いやあ、あんときは往生した(参った)ばい」――。記憶はしっかりしていて、戦友たちの名前も忘れない。昨年秋に福岡に戻ってきた私は「じいちゃんの出征談を一から聞いて書くけん、来年の夏に向けていろいろ教えてくださいね」とお願いしていた。じいちゃんは、うれしそうだった。

 なのに、自分は仕事に追われて毎日を過ごす中で、その機会をしっかり設けられていなかった。そしてじいちゃんは、早足で旅立ってしまった。

◆   ◆   ◆

 宮崎県で生まれ、入隊前は大阪で紙袋や紙紐を作る工場で働いていたというじいちゃんは、太平洋戦争開戦後間もない1942年2月、22歳で第6師団の騎兵第6連隊補充隊に入った。

 「騎兵隊っちゅうけん馬か、と思って入ったら、初日に新兵がずらーっと集められて、その前に長い剣と短い剣が並んどってね。自分の名前は短い剣の所にあってね。『長い剣は騎兵、短い剣は戦車』。そげなふうに言われて、始まったったい」

 そうして戦車兵になったじいちゃんは、訓練のために熊本の水前寺公園に連れて行かれた。「周りがのどかに花見ばしよる中で鍛えられて、ありゃあとんでもない思いばさせられた」という。

 その後満州で入営し、戦車兵として大連に出向した。その後、海上機動第2旅団戦車隊に転属となり、ニューギニアに送られる途中に、船が米軍の魚雷攻撃で航行不能になり、命からがら救助されたという。44年6月4日、目的地のソロンに上陸した。

 激戦の中で多くの戦友を失ったが、「銃弾がぴゅんぴゅん飛んでくるとば、隣におったと(戦友)が、木の枝ば掲げて身を守ろうとしよったもんで『そげなもんで守れるもんか』って笑ってくさ」。現地では戦闘が続いていた45年9月1日に上等兵から兵長に昇進。復員したのは、翌年の6月だった――。

 山ほど話があって、どれも残したかった。じいちゃんの軍歴資料を県庁で取り寄せ、戦史叢書などの資料と重ねながら、一人の兵士がどのような歩みをたどり、何を思っていたのかを記したかった。

◆   ◆   ◆
 福岡に暮らす人にとって、6月19日は忘れてはいけない日だ。1945年、福岡に200機超のB29が襲来し、多くの人の命が奪われた福岡大空襲の日だ。

 3年前の2015年、戦後70年に合わせて「この空襲を、現在の視点でニュースとして新聞に取り上げてみよう」と考え、同僚たちと再編集した4ページの特集を作った。被害に遭われた方々の証言をたどり、一方で公式文書などから全体状況をまとめ、今の新聞のように被害の概況や現場の雑観などで構成した。

 同時に、当時の西日本新聞が空襲をどう報じたのかも検証した。物資不足で2ページだけに限られていた紙面のどこにも悲しみや痛みはなく、そこにあったのはひたすらに消火にあたった市民の「敢闘」をたたえ、「たいしたことはない」と鼓舞する内容だった。

 報道が規制された当時では、こうした記事が出るのは当然のこと。だから、多くの人の命が不条理に失われて、しかもそれが正確に伝えられないという二重の異常さを、紙面で表現したかった。

 その特集を掲載した後日、自分は解説面の記事にこう書いた。

 <戦時を生きた人が1人亡くなると、「戦後」も一つ消える。「うんざりするような暗い話」を直接聞けなくなる日はそう遠くない。歴史から学ぶことが私たちにあるとすれば、戦時の記憶は一つでも多くとどめておきたい>

 そんなご立派なことを書いたくせに、当の本人は、苛烈な戦地を転々としたじいちゃんの記憶をしっかりとどめることができなかった。自分が情けなくて、腹立たしい。

 1945年に終結した第2次世界大戦。私たちメディアは、西暦の下1桁が「5」の年の夏に、ぶ厚く終戦の特集をしてきた。ただ「戦後80年」を迎える2025年には、証言をたどり、積み重ねるこれまでの伝え方がほとんど不可能になる。

 じいちゃんは、私が文章にまとめることを楽しみにしてくれていた。もう直接尋ねることはできないが、残った資料から、できる限り調べたい。

 今までいろいろなお話を聞かせてくれて、本当にありがとうございました。

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