源氏物語絵巻 受け継げ 模本作り 色あせないドラマ 九博「尾張徳川家の至宝」展で原本公開

玉鬘(たまかずら)の邸で、大君(おおいぎみ)と妹の中君(なかのきみ)が庭の桜の所有権をかけて碁を打つ場面を描いた「源氏物語絵巻竹河(二)」 拡大

玉鬘(たまかずら)の邸で、大君(おおいぎみ)と妹の中君(なかのきみ)が庭の桜の所有権をかけて碁を打つ場面を描いた「源氏物語絵巻竹河(二)」

「源氏物語絵巻」の模本作りに取り組んだ19代当主の徳川義親

 ●古筆研究家、版画家、芸大生…工夫重ね忠実再現 
 徳川家康の遺愛品など、大名家伝来の美術工芸品を紹介する「尾張徳川家の至宝」展が福岡県太宰府市の九州国立博物館で開催されている。12日からは後期展示が始まり、目玉の一つ、国宝「源氏物語絵巻 竹河(二)」がお目見えした。12世紀、平安時代の作で900年にわたり人々を魅了した絵巻をめぐってはもう一つ、王朝の美と技を後世に伝えようと努めた人々の「物語」もある。

 「源氏物語絵巻」は、紫式部が著した「源氏物語」(11世紀)を絵画化した作品で、徳川美術館(名古屋市)が収蔵するこの絵巻には15の場面に流麗な詞書きが付く。現存絵巻では最古の作品。同館でも年1回しか公開しない。尾張徳川家の初代当主、義直(よしなお)(1600~50)が入手したが、その経緯は不明という。

 絵巻は、見る度に開いたり巻いたりするため、傷みやすい。絵の具が所々はがれ、光を横から当てると巻紙に幾筋もしわが現れる。

 原本の絵巻を保存し、人々の鑑賞にも資するため、江戸時代から模写が作られた。これに私財を投じて取り組んだのが、徳川美術館設立に尽力した19代当主義親(よしちか)(1886~1976)だ。

 義親は、大和絵の正統を継ぐ古筆研究家の田中親美(1875~1975)に肉筆模本の制作を依頼。「費用と時間を惜しむな」とだけ命じたとされる。田中は10年かけて書風から料紙の大きさ、装飾、接ぎ目まで忠実に再現。錯簡(場面の順番の乱れ)も本来の順序に戻して1935(昭和10)年に完成させる。

 義親は写真印刷の普及本制作も試みたが、仕上がりに満足できず、44年から岩絵の具を使った木版刷りの模本作りを版画家の川面(かわづら)義雄(1880~1963)に依頼した。戦中戦後の混乱期は絵の具や金銀などの材料が払底して制作が一時滞り、空襲を逃れて大量の版木を疎開させたことも。徳川美術館収蔵の絵巻の模本は59年に、五島美術館(東京)収蔵の絵巻の模本は63年に完成したが、川面は精根尽きたのか、模本の完成後まもなく他界した。

 その後も、画家や研究者が失われた図様を復元したほか、東京芸術大の大学院生や卒業生らによる創意工夫に満ちた模写が、平成の時代に入っても続いた。

 義親はなぜ、源氏物語絵巻の模本作りに執心したのか。現当主の22代義崇(よしたか)氏(52)は「絵巻の価値を人々に広め、後世に伝えることに悩んでいたのは、美術館の責務は『見せる、残す、伝える』ことだと信念があったから」と話す。

 昨今は、デジタル・アーカイブなどと呼ばれる高精度の画像記録を駆使した美術品の資料保存も盛んだ。

 徳川美術館の四辻秀紀副館長は「900年前の絵師が源氏物語をどう受け止めて、どう表現したか。画風や金銀の光沢の出し方などを手で丹念に写すことで、姿だけでなく精神性も写すことができる。模写は文化の伝承であり、創造の源となるのです」と、その意義と役割を強調している。

   ◇    ◇

 展覧会では「源氏物語絵巻 竹河(二)」の原本を24日まで、田中親美と東京芸大生による模本を12月8日の会期末まで展示している。

=2013/11/16付 西日本新聞夕刊=

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