博多ロック編<182>クロスした二つのギター

「アタック」のメンバー。左から2人目が篠山=「キング」の店の前で 拡大

「アタック」のメンバー。左から2人目が篠山=「キング」の店の前で

 タータンチェックの細身のズボンに、ミニタリーの上着、戦闘靴(編み上げ靴)。バンド「アタック」の5人がそろいの服装で、西鉄久留米駅前の繁華街を歩いていた。

 「かっこよかった」。音楽仲間からこの報告を聞いた浪人中の鮎川誠はこの5人が「キング」のバンドと直感した。「キング」は2階がキャバレーで1階がダンスホールだった。

 その日の夕方、鮎川はブルースハーモニカを吹きながら「キング」の扉を開けた。

 「恥ずかしいし、かっこつけなきゃいかん」

 リハーサル中の5人が手を止めた。ギターの19歳の篠山哲雄は思った。

 「変わった面白い男がきた」

 「バンドに入れてください」

 鮎川の申し出に篠山はこう言った。

 「大学に合格したら遊びに来んね」

 この出会いから鮎川たちのバンド「スランパーズ」は「キング」の昼間に練習をしたりした。鮎川のギターについて篠山は「粗削りだが、生き生きとしたなにかがある」と感じた。

   ×    ×

 数日後、篠山から鮎川に連絡があった。「アタック」は別のクラブでの演奏の仕事が入った。

 「『キング』で遊んでみんね」

 鮎川たちはトラ(臨時)のバンドとしてステージに立った。

 「どのような演奏をしているのだろうか」

 篠山は「キング」へ様子を見に行った。鮎川はギターの弦が切れたまま演奏していた。篠山はそのギターを楽屋裏に持って行き弦をはり直して、鮎川にもどした。鮎川は演奏後、篠山がいたクラブに直行、弦直しのお礼として1カートンのタバコを渡した。夜明けまで語り合った。

 「ベンチャーズでもない、GS(グループサウンズ)でもない。ブルースをやりたい」

 篠山は熊本市生まれ。家業の電気店をたたみ、炭鉱で働くようになった父の転勤で筑豊、西戸崎(福岡市東区)へと移った。米軍向けのFEN放送を聞いてロックを知った。香椎工業高校に入るころには電子工業誌「電波科学」を参考にしながら自分でクラシックギターをエレキに変えた。

 「電気店のときの材料が家にたくさんあった」

 地元の西戸崎の音楽仲間を中心に、高校卒業後まもなくして「アタック」を
結成した。最初の仕事が「キング」のハコ(専属バンド)だった。

 「『アタック』に入りたいために猛勉強した」

 鮎川は九州大学の入学式の夜には「アタック」が演奏していた福岡市・中洲のダンスホール「赤と黒」に駆け付けた。その日から「アタック」の準メンバーとして演奏に加わった。演奏後、午後10時半の西鉄の最終急行で久留米の自宅に帰るのが鮎川の日課になった。

 1967年冬から翌年春。篠山と鮎川。二つのギターがクロスした。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/11/18付 西日本新聞夕刊=

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